横浜旭ベースボールクラブ(以下横浜旭BC)卒団生、荒井直樹氏は社会人野球(いすゞ自動車)選手を経て、母校日大藤沢高の野球部監督に就任。その後、群馬県に新居を移し、前橋育英高で心新たに再出発したと思われる。
日大藤沢の監督当時、横浜旭BCの選手が同校で野球をしたいと希望したので、受験させてもらおうと考え、荒井氏に連絡を取ってその選手の野球技術を見てもらった。結果は「スケールから少し外れたので申し訳ない」という返事だった。私は「後輩を育てる意味で、スケールの端くれに加えてくれないか」とお願いしたが、己の信条から「スケールをごまかしたくない」と丁重に断りの返事であった。
荒井氏が前橋育英の監督に就いて数年後、別の横浜旭BCの選手から同校の野球部を受験したいとの要請があり、本人を引率して荒井氏に野球技術を見てもらった。数日後に返事をもらったが、【1】学校の方針で地元選手を優先しており、他県の選手は推薦枠を取りづらい【2】自分のスケールから外れている――との理由で希望は叶わなかった。
いずれのケースも、横浜旭BCから荒井氏のもとへ選手を送ることはできなかった。今思うと荒井氏のこの信条の固さ、野球に妥協をしないことが、今回の「甲子園初出場初優勝」という偉業につながったのではないだろうか。(NPO法人横浜旭ベースボールクラブ/広田 金一理事長)
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