新春寄稿 旭区誕生50年を迎えて 横浜市会議員 古川なおき
新年明けましておめでとうございます。今年、旭区は誕生50年を迎えます。緑や公園が多い旭区は鎌倉時代に将軍源頼朝に仕えた畠山重忠公の終焉の地です(重忠公は智・仁・勇を兼ね備えた「坂東武士の鑑」と称された名将で吾妻鏡、歌舞伎や文楽に登場します)。地元を愛する人が多い地域は治安も良く、隣近所と穏やかに暮らすことができ、災害時にも助け合えるので、旭区の先輩たちは畠山重忠公の終焉の地であることを旭区の周年行事の節目に子どもたちを中心に伝え、郷土愛を育んで来ました(以前作成した「地域の絆を育む条例」も同じ思いです)。区内には当時を伝える様々な碑があり、鶴ヶ峰の薬王寺では毎年区長も出席して慰霊祭も行われています。
「畠山重忠公と小笠原流」
一方、鶴岡八幡宮の流鏑馬で有名な弓馬術礼法小笠原流は、初代小笠原長清が源頼朝の指南役を務めて以来、徳川慶喜まで歴代将軍家の指南役を務め、一子相伝で800年以上に渡り「礼法」「弓術」「弓馬術(流鏑馬)」を今日まで奇跡的に継承しています。畠山重忠公は数々の合戦で先陣を務め、頼朝公からの信頼も厚く、その邸は鶴岡八幡宮流鏑馬馬場の東、鳥居付近にあることから小笠原家ともご縁があったと思われます。
「名こそ惜しけれ」
作家の司馬遼太郎さんは鎌倉時代の坂東武士の精神が今の日本人の倫理道徳観の根源になっていると言われました。「自分の名前を汚すような恥ずかしいことはしない」。畠山重忠公など坂東武士の生き方から学ぶことは多くあるように思います。グローバル化が進みAIが発展しても旭区の歴史を踏まえ、先人達に恥じない旭区、横浜市になるように今年も精進いたします。
本年が皆様にとって素晴らしい年になりますことを心よりお祈り申し上げます。
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