瀬谷ボーイズ出身 望月君トヨタに内定 3年後、プロを目指して
瀬谷ボーイズから岩手県の盛岡大附属高校へ進学した望月直也選手(3年)。強打の内野手として2度甲子園に進むなど活躍を見せ、卒業後の進路がトヨタ自動車野球部へと決まった。高卒内野手での同部への入部は12年ぶり。
草野球をしていた父、茂雄さんの影響で幼い時から野球に興味を持ち、バットを振っていた。「打つことが楽しかったから」と、2歳上の兄雅也さんと共に小学2年生で横浜SSファイターズへ。初めて守ったのはライトだった。
「早くから硬式に慣れた方がいい」という父のアドバイスを受け、南瀬谷中学校に入学してすぐに瀬谷ボーイズ(杉山千春監督)へ入団。「腰が開くと外の球についていけない」など杉山監督の指導を受け、打撃フォームを一から作っていったのが「今のフォームの原点」という。ハイレベルな環境で練習に明け暮れていたため、周りの友達とはなかなか遊べなかった。「学校の友達と遊びたかった」と、練習に参加せずに遊んでいたことも。心配したチームメートが引き止めに自宅まで迎えに来たこともあり、「仲間たちに恵まれた」と話す。
「同級生も3人行くから」と、岩手の強豪盛岡大学附属高校へ進学。寮生活に不安を抱えながらも、瀬谷ボーイズ出身の先輩から、捕球から送球まで守備の基本を教わった。2年時には遊撃手のポジションを先輩から引き継ぎ、「任せられた以上はやるしかない」と守備への意識を改めた。その年の夏に県予選決勝で大谷投手(現日本ハム)から2本のヒットを打ち、初めて甲子園の土を踏んだ。「あっという間だった」が、全国を経験したことで、プロ野球選手が憧れから明確な目標へ変わった。2度目の甲子園は3年春のセンバツ。「一度経験した分落ち着けた」と、本塁打を放つなど創部以来初の甲子園での勝利に貢献した。
プロ志望届を出すも指名されず、「高いレベルでやりたい」と社会人の道を選び、声を掛けてくれたトヨタ自動車に。今月5日に入寮し、現在は練習の日々。「早く社会人の球に慣れ、3年後にはプロに指名されるような選手になりたい。ここで終わるつもりはない」と話した。茂雄さんは「小学1年生の誕生日に、バットとグローブが欲しいと自分から言ってきた。その時の気持ちを忘れないでほしい」と息子にエールを送った。
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