神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
瀬谷区版 公開:2015年7月16日 エリアトップへ

第97回全国高校野球選手権神奈川大会で始球式を務めた 稲荷 義郎さん 横浜市在住 85歳

公開:2015年7月16日

  • LINE
  • hatena

白球(きぼう)追いかけた青春時代

 ○…第30回(1948年)大会で優勝し、戦後初の県代表として甲子園に出場した浅野高のキャッチャー。高校野球100年、戦後70年にあたる節目の大会での抜擢に、「冥土の土産だ」と照れ臭そうに微笑む。当時3年生、最初で最後の神奈川大会。田中進投手とのコンビネーションで開成高(当時)の打線を封じ、3対1で優勝を掴み取った。「本来ならば、始球式で田中とバッテリーを組めれば良かった。この歳になると、仲間はほぼ残っていないね」

 ○…青木小を卒業したのち浅野中へ進学するも、学徒動員として東神奈川の軍需工場で働く日々を送った。45年5月29日、焼夷弾の黒煙であたり一面暗闇と化した横浜大空襲。「炎から逃れようと、近くの運河へ飛び込んだ」と命からがら中区から台町の自宅へ戻ったが、生まれ育った家は跡形もなくなっていた。

 ○…終戦後、講堂以外が焼け野原となった学校で、「”何もないから野球でもしようか”と、自然と生徒たちが集まった」。グラウンドに刺さった焼夷弾を取り除き、新制高校13人が野球部として活動を再開。毎日夜遅くまで白球を追いかけ、日中の授業では居眠り。落第しかけるほどだったが、「(あの時代にやれることは)野球しかなかった」と懐かしむ。汽車に乗って片道8時間かけて臨んだ甲子園は初戦で涙をのんだが、皆があこがれる夢の舞台に立てたのは感激だった。

 ○…早稲田大ではボートに転向。ミットをオールに持ち替えた。現在は中高生などのボート指導にあたる傍ら、毎年母校を応援しに球場へ足を運ぶ。一度は始球式の依頼を断ったが、OB会の後押しがあり、母校のユニフォームも特注してくれた。「練習したら腰を痛めちゃって。当日は投げるので精一杯だった」と笑う。先月母校を訪れた際には「一つでも二つでも、勝つことで喜びがあるはずだ」と後輩たちにエールを贈った。「(出場する高校球児には)全力を尽くしてほしい」

瀬谷区版の人物風土記最新6

横山 悟さん

「横浜隼人高校×ぽかぽかプラザ活性化プロジェクト」の取りまとめを担う

横山 悟さん

三ツ境在勤 62歳

3月28日

牟田 茂男さん

福島第一原発事故を題材に、絵本の原画展を開催している

牟田 茂男さん

旭区善部町在住 73歳

3月21日

石坂 幸子(こうこ)さん

創立40周年記念コンサートを開く、女声合唱団「せやあじさいコーラス」の代表を務める

石坂 幸子(こうこ)さん

阿久和南在住 86歳

3月14日

菅原 美穂さん

横濱花博連絡協議会の副会長を務め、マスコットのブンブンをデザインした

菅原 美穂さん

下瀬谷在住 38歳

3月7日

阿久津 修さん

厚生労働大臣表彰を受けた瀬谷北部地区民生委員児童委員協議会の会長を務める

阿久津 修さん

上瀬谷町在住 73歳

2月29日

家田 昌利さん

能登半島地震の緊急消防援助隊神奈川県大隊の第二次派遣で大隊長を務めた

家田 昌利さん

相模原市南区在住 59歳

2月22日

あっとほーむデスク

  • 3月28日0:00更新

  • 3月14日0:00更新

  • 2月29日0:00更新

瀬谷区版のあっとほーむデスク一覧へ

バックナンバー最新号:2024年3月28日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook