タウンレポート 泉区でも震災の影響が 日用品求め行列 給油待ちで渋滞
3月11日の東日本大地震発生時、記者は立場駅近くの長後街道沿いにあるビルの3階にいた。経験したことのない長い横揺れに立っていることができず、非常階段の手すりにつかまりながら降りて何とか屋外に出るも、激しい揺れが収まるのを、ただただ待つしかなかった―。
地震による影響を泉区役所防災担当に確認したところ、区内では家屋の一部破損6件、ブロック塀の倒壊6件、軽症1件(倒れた扉を戻そうとした区民が転倒)、中田東の約150世帯と中田南の約150世帯で停電、東原交差点の信号機が一時的に不点灯、水道管の障害1件、エレベーター閉じ込め1件が発生した(3月25日現在・速報値)。
公共施設関連では、新橋小学校の水道ポンプ破損、泉スポーツセンター天井に多数ひび割れ、葛野小学校の屋内階段壁にひび、下和泉小学校でコンクリートの小破損があった。
当日は、相鉄線や横浜市営地下鉄、JRなどの鉄道交通網が遅延や運休となり、夕方以降は各地で道路が渋滞。バスやタクシーにも影響し、帰宅の足が閉ざされた帰宅困難者1名が区総合庁舎に宿泊した。
翌日以降は、東京電力の計画停電による鉄道交通網の運休や店舗の閉店等が、区民生活に影響した。
スーパーやコンビニ、ドラッグストア、ホームセンターでは保存のきく食料品や飲料水、日用品などを求める人が殺到し、生活用品の品薄状態になった。計画停電中は閉店する店も多く、再開を待つ人の行列も各地で見られた。
ガソリンや灯油を求める人による渋滞も顕著となり、渋滞の先はガソリンスタンドという現象が1週間ほど続いた。
各種イベントも多くが中止に。テアトルフォンテでは16日から18日まで点検による臨時休館とした。18日に同所で泉区映画祭を予定していた主催者らは、中止を知らずに来場した人に謝罪した。泉公会堂は3月中を臨時休館にしている。泉図書館では輸送トラックがガソリンを確保できないため、貸出受付を一時ストップした。
計画停電中は信号が消えるため、泉警察署では、交差点では警察官の指示に従うか、警察官がいない場合は交差点手前で一時停止して周囲の歩行者や車両を確認し、速度を十分に落とした通行を呼びかけている。
泉消防署から福島へ 緊急消防援助隊として4人派遣
東日本大震災の被害を受け、全国の消防隊で組織された「緊急消防援助隊」が同日の発災直後から被災地へ派遣された。
横浜市消防局からも84隊354人(3月28日現在)が出動し、泉消防署からは4人が福島県で応援活動にあたった。
岡津救急隊からは3月19日に中嶋英之隊長と田名網忠隊員、堀江昇隊員が現地へ。3人は、東京電力福島第一原子力発電所から20〜30Km圏内にある病院の入院患者を、他県に搬送した。
中嶋隊長は「群馬県の医療機関に患者さんを搬送したときは片道280Kmあり、高齢の方の体力が心配でしたが、無事に任務を終了して一安心でした。患者さんが、搬送途上に救急車の振動を『地震なの?』と私に聞いていたことが印象的でした。この地震は被災者の方の心にも大きな傷をつけたと思いました。少しでも、多くの地元の方々を勇気づけることができて良かったと思いました」と活動を振り返った。
現地での活動を通して「自然の力の前に、個々の人間は無力だと感じましたが、同時に、皆が助け合おうという意識が生まれると、人は大きな力を出すものだとも思いました」ともコメントした。
中田特別救助隊からは3月22日に本多隆樹中田特別救助隊隊長が現地へ向かった。東京電力福島第一原子力発電所での放水活動を予定していたが、原子炉を目前に黒煙が上がったため、緊急退避となり、活動中止となった。
本多隊長は「原発事故の派遣命令を受け、微力ながら力になりたいという思いで、現地に向かいました。地震と放射能による被害は、私が想像していた以上に深刻で、多くの生命や財産を失ったことを物語っていました。私の父の故郷は福島県いわき市で、以前来たときとは変わり果ててしまい見る影もなく言葉を失いました」と話した。
緊急退避のため、活動は中止となったが「有事の際には組織の枠を超えて協力し合い、災害に立ち向かう『使命感』は次の部隊に引き継いできたつもりです」ともコメントした。
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