第95回全国高校野球選手権に初出場し、初優勝を果たした 荒井 直樹さん 前橋育英高監督 旭区出身 49歳
「継続の鬼」が見た山頂
○…「いつもテレビで見ていた風景。自分のチームだなんて信じられなかった」。初めて甲子園の土を踏んだ2年前、春のセンバツ大会は初戦敗退だった。今大会の主将は次男の海斗(かいと)選手。妻の寿美世(すみよ)さんが寮母を12年務める前橋育英は、6試合のうち決勝を含む4試合で1点差ゲームを制し、3957校の頂点に。
○…「一からチームをつくりたい」。1999年から群馬に移り住み、コーチ3年を経て監督へ。身寄りのない地で始めたチームづくりは、13年目で開花した。当初は「甘い」「勝つ気がない」と批判にさらされながら、技術よりも日常の態度や規律を重んじてきた。さりげなくごみを拾える「気づき」があれば、己や仲間の変化に敏感になれるという考え方だ。率先して練習場の小石を拾い、遠征先では自分のユニホームを洗濯する。そんな後ろ姿に、「凡事徹底」の信念が写る。
○…読売巨人軍の「背番号3」に誰もが憧れた少年時代。引退セレモニーではテレビの前で泣くほど長嶋茂雄氏に夢中だった。小4頃から硬式野球の横浜旭ベースボールクラブ(当時・旭リトル)へ。当時から「時間をかけて何かをやるタイプ」。鶴ヶ峯中野球部では、元プロの阿波野秀幸投手と同級生。1年後輩の山本昌投手(現中日)とエースを競った日大藤沢高時代は、県大会で無安打無失点試合の2試合連続記録をつくったが、甲子園には届かなかった。「技術がないから練習するしかなかった」。高校卒業後、13年間在籍したいすゞ自動車では毎年戦力外候補ながら、都市対抗野球に7回出場。「行き詰まっている選手には、何か光を見せてやりたい」。積み重ねた失敗や苦難が、選手たちを支えるヒントになればと願う。
○…横浜隼人の水谷哲也監督、横浜創学館の森田誠一監督ら昭和39年生まれが集う「39年会」では毎年12月、30人以上が杯を交わす。「皆それぞれこだわりが違う。そこが面白い」。地元横浜との縁は今も続いている。
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