原中学校男子バスケットボール部を初の全国大会出場に導いた 幾田 登さん 和泉町在住 54歳
信念持ち続け叶えた夢
○…横浜市内の中学校でバスケットボール部の顧問を務めて30年。原中学校(瀬谷区)に赴任して4年目の今年、県を制し関東で3位入賞、同校初の全国へと導いた。「それぞれ個性のある5人が上手く噛み合ったし、控えの選手も準備を怠らなかった結果。ここまで来るのに長かった」と笑みがこぼれる。関東で敗れること3回、重たかった全国の扉をついに開けた。
○…磯子区出身。小学生時代は漫画「巨人の星」に憧れ、草野球チームを作ったことも。バスケに出会ったのは中学の仮入部。「放ったシュートが偶然決まって」と振り返る。田臥勇太選手(リンク栃木)を指導した伊藤教諭、高校で元国際審判員の石田教諭と出会い「人に教える楽しさを知った」。大学2年時に腰を痛めると、「この時の経験が今の土台」と中学の外部コーチに誘われる。2度目の教員試験で中学教師となり、同時にバスケ部顧問へ。鶴見、港南、戸塚区の中学校で女子を指導し、関東へ2度、前任地の岩崎中(保土ケ谷区)では男子を指導し、関東へ1度出場した。
○…「楽な方、楽な方の生き方になっている」と現在の風潮を危惧する。「部活動は理不尽なことを我慢して乗り越えさせる場」。持論を展開するとともに、荒れていた学校に赴任した過去の経験から「技術指導だけではダメ」と実感し、高校、その先を見据えた指導を胸に秘める。上から押し付ける指導ではなく、生徒一人ひとりとの対話をする時間を意識的に設け、技術だけでなく、人としてのマナーにも力を入れる。
○…全国大会はグループリーグの2戦とも僅差で敗れ、「選手も自分も苦しい時間帯に冷静でいられなかった」と反省を口にする。21人の3年生が引退し、2年生二人を中心とする新チームの練習が続く日々で「若手の先生方にアドバイスをしながら、自分ももう一度全国へ挑戦し、1勝をあげたい」。大舞台での勝利へ、次なる夢へと挑戦は続く。
|
|
|
|
|
|