風見鶏を製作し、立体アート作家としても活動する 尾関 良雄さん 中田東在住 69歳
風見鶏のようにきままに
○…「『飾りじゃなくて、ちゃんと動くのがいいね』と好評なんですよ」とにこやか。自宅の工房で木や銅の風見鶏を作り、13年。施設や店舗、幼稚園などからも「シンボルにしたい」と依頼が引きも切らない。モチーフは依頼者のオーダーに合わせて柔軟対応。ニワトリにカモメといった”定番品”から、クジラやテレビ局のキャラクターまで、およそ900基を製作してきた。そのうち8基は、元日のニューイヤー駅伝の中継所に。温度計の上でランナーたちを見守っている。
○…「風は自由でいいなあ。この風をモノ作りに利用できたら」。54歳の時に悪性リンパ腫が発覚。2年間の闘病生活で足腰も精神も次第に弱る中、11階の病室の窓から外を眺めてふと、そう思った。退院後、早速取りかかったのが風見鶏だった。イメージしたのは病室の窓から見たハトの姿。翼の回転や推進力、バランスなど、入念に計算しても、実際の風の流れは複雑。風見鶏は想像以上に自由に動き回った。「風も風見鶏も気まま。だから楽しい」
○…東京下町生まれ。手先の器用さは靴職人だった父親ゆずり。幼少時代は絵画や物づくりに熱中した。自動車アンテナを作るエンジニアの道へ進んだが、休日の楽しみは幼いころのまま。いつもそばには画材セットがあった。手掛ける作品は、すっきりとデフォルメされた愛嬌ある顔つきのものばかり。その親しみやすさからか、自宅の庭先に佇む風見鶏は、近所の子どもたちの人気者だ。
○…11年前、テレビ番組の取材を受けて以降、依頼が急増。だが、65歳の時に「健康寿命まで後10年しかない。残りの人生は自分のために」と仕事をセーブし始めた。現在、主に取り組むのは科学と芸術を融合させた動く立体アートだ。地域の発明クラブでの指導も生きがいの1つ。「仕組みを理解し、考えて作ることが大切。日本の将来を支える技術屋を育てていきたいですね」と目尻を下げる。
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