間もなく放送再開されるNHK朝の連続テレビ小説『エール』。主人公のモデルは昭和時代の名作曲家・古関裕而氏(1909〜89)だ。
そんなドラマの風俗考証を担当したのが、大倉精神文化研究所(港北区)客員研究員の刑部芳則さん。長年にわたり古関氏の研究を続ける第一人者の刑部さんに、人物像や神奈川県との関わりを聞いた。
音楽の天才
「一言で表すなら”音楽の天才”」。生涯で約5千の楽曲を生み出したと言われる古関氏だが、驚くべきはその数だけでなく作曲方法だ。「すべてを脳内で。景色を見るだけでも自然と音楽が流れてきて、それを楽譜に起こすだけで完成させてしまった」という。有名な軍歌『露営の歌』も、電車内で作りあげたそうだ。
さらに特筆すべきは多様性。軍歌から歌謡曲、大企業の社歌から小さな学校の校歌まで、依頼されたら断ることなく曲を作ったという。例えば、代表曲の一つに1964年東京五輪の『オリンピック・マーチ』や高校野球の『栄冠は君に輝く』があるが、実は古関氏は運動音痴。「全くスポーツをしなかったが、心に刺さる名曲を作れたのは天才的な感性の賜物。ジャンルの広さからは、”どんな曲でも作れる”という古関さんの自信が垣間見えます」
神奈川と古関氏
古関氏の功績は、ここ神奈川県にも遺る。相鉄線を運営する相模鉄道株式会社の創設50年記念で社歌を作った。また横浜市立大学の校歌も作曲を担当している。
特に大きなつながりがあるのが、聖マリアンナ医科大学(川崎市宮前区)。長女・雅子さんの結婚相手が同大学の設立に関わった染谷一彦さんだったのがきっかけで、校歌の制作を引き受けたという。縁は続き、同大学病院はかかりつけ医院になり、最期の時も過ごした。また、妻・金子さんの「富士山の見えるところがいい」との願いから、同市内の春秋苑(多摩区)を安息の地に選び、いまもなお眠る。
晩年は体力の衰えから作曲活動を停止していたが、入院中も瞑想にふけっていたという。「脳内には音楽が流れていたようで。体力は衰えていても音楽の力は最期まで残っていたのでしょう。古関さんの頭の中にあった幻の名曲を聴くことができないのは残念です」と天才作曲家への想いを馳せた。
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