18歳で地元消防団に入り50年超。70歳の山本登さんが3月末で定年のため退団する。地域の消防防災のリーダーとして過ごした長い時間について「地域のため、人のためがエネルギーだった」と振り返る。
山本さんは和泉町に生まれ育ち、家業だった工務店を兄と継いだ。そのとき「地元でやっていけるように、地域に貢献しなさい」と父から背中を押され、1967年、18歳で戸塚区当時の第4分団3班に入団した。
器具置き場も小さく、積載車も個人の車を使っていたような時代。一軒ずつ拍子木を鳴らして「火の用心」と言って回ったことを懐かしむ。まだ茅葺屋根や木材でできた家が多く、相鉄線が走る前の泉区は火災が発生すると燃え広がることもあったという。
50年の活動の中でも特に印象に残っているのは、2000年に開催された操法大会だ。副分団長として泉区代表チームを引っ張り、市内で優勝を果たした。その後進出した県の操法大会でも優秀賞を獲得。「仲間と一緒になって訓練に励んだ。チームワークの良さで勝ったんだと思う」と感慨深い面持ちで語る。
火消しプライドいつまでも
区内でも高齢化で団員の出動率が下がっていることや団員不足などは課題だ。それでも時代のせいにすることなく「消防団をやりたい。そう思ってもらえる憧れの団になることが必要」と前を向いてきた。団のピーアールや予防啓発などにも力を注いできたのはそのためでもある。泉消防署は「分区前の記録は残っていないけれど、勤続50年は聞いたことがない」という。
退団にあたり、自身が所属する第3分団3班の詰所に手製の木札を寄贈した。「消防団はまちの火消し。いざという時、地元を良く知る団員たちの力が必要になる。そのプライドを忘れないでほしい」と願いを込めた。裏にはともに過ごした一人ひとりの団員の名を刻んだ。「活動を通して親友と呼べる仲間ができた。いい50年だった」と目を潤ませた。
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