「思ったよりも被害が少ない」。緊急車両の窓ごしに見える仙台市の街並はそう映った。同市を過ぎ、塩竈(がま)市に入ったところで状況は一変した。折り重なる大量の車、侵入した津波の跡、土気色の街…。「壊滅だ」
医療生協かながわ生活協同組合の戸塚病院(汲沢町)に勤務する島田みのりさん(36)と齋藤彰久さん(43)、事務の3人は、3月15日から3日間、東日本大震災の被災地、宮城県塩竈市の坂総合病院で救援活動を行った。
齋藤さんは、傷病程度を分類するトリアージにより、「最優先に治療」と判断された人の個人情報を家族などから聞き出す役割を担い、島田さんは「待機」の人を看護した。当時は余震が頻繁にあり、「揺れているのが普通」の状況。サイレンは鳴り止まず、あたりは騒然としていた。
阪神・淡路大震災に続き、被災地での救援活動は2回目の齋藤さん。阪神の際は「青臭い青年だった」というが、今回は医療従事者として経験を積んだこともあり、「まずは仲間の助けになろう」。冷静ながらもふっきれた思いがあった。一刻を争う状況下で、淡々と業務に努めた。阪神の様子をテレビで見るしかなかった島田さん。初めての被災地での救援活動に「使命感があった」。だが、患者からの「家が流された」「現実じゃないみたい」―。返す言葉がなかった。ただ黙って聞くことしかできなかった。
口論の中に笑顔
被災地を発つ予定だった17日の朝。島田さんは齋藤さんに許可をとり、夜勤後に避難所の塩竈市立第三中学校に向かった。毛布にくるまり寝ている高齢者、ぜんそく持ちの子を案ずる母親など、不安を抱える様々な人がいた。そんな中、ある母娘が口論をしていた。宮城を離れたくないという母親、東京へ行くべきと主張する娘。言い争いの中にも、そこにはユーモアと笑顔があった。「こんな状況でも、笑顔になれるんだ」。当時を振り返る島田さんは、「言葉にすると安いけど」と何度か前置きした上で、「人間って、やっぱり強いんだ」。
同組合は当面、3泊4日のペースで看護師などを被災地へ派遣するという。
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