まるで楽器が歌っているように思わず口ずさんでしまうメロディー。インストゥルメンタルバンドでありながら、アルバムは連続でオリコンチャートにランクイン、各地の音楽フェスでの圧倒的な動員数からも”異例の人気”を誇る「SPECIAL OTHERS(スペシャルアザース)」。横浜の鶴見で育ち、関内近辺などの路上やバーでライブを重ねてきた彼らが紡ぎだす音楽のルーツを探った。
独特の「鶴見サウンド」
昨年の彼らの活躍は特に目覚しかった。日本の音楽シーンで活躍中の様々なアーティストとのコラボレーションアルバム「SPECIAL OTHERS」を発表し話題を集め、年末のツアーは各会場ともチケットは即完売。メディアで彼らの名を目にする機会も多い1年だった。
今回のアルバムの1曲、彼らの出身地である鶴見を題材にした「DANCE IN TSURUMI」は同じく横浜出身のバンド「アジアンカンフージェネレーション」のボーカリスト・後藤正文氏との合作。物悲しさを感じるメロディーと歌詞でありながら、ラテンミュージックのようなポップな要素も入り混じる。横浜の中でも、特に異文化の集まる鶴見の雰囲気を感じる音が印象的だ。
「小さい頃から国籍も異文化にも壁がない。そんな経験とかパーソナリティーは、元々俺らの音楽ににじみ出ていると思っています」。一つの曲の中でもジャズやロック、ラテンなど様々な音の要素が顔を出す。いわゆるヒットチャートの方程式には当てはまらない曲の長さやメロディーライン。同じ曲でも違うアレンジで、ライブごとに違う景色を見せるパフォーマンスも、どこか日本人離れしている。「いろんな想像をしてほしいから曲の説明はしないんです」。人や文化にオープンな鶴見という環境は、聴く人にもイメージを押し付けない雑多で自由な「鶴見サウンド」を築いてきた。
「地元横浜でフェス開きたい」
4人の出会いは県立岸根高校(港北区)1年のクラス。文化祭がきっかけでバンドを結成。「最初は女の子にモテたくて始めたのに、気づいたら本当に音楽にはまっていて」。当時のヒットチャートをコピーして夢中になって練習した。 進路を決める高校3年、周囲と同じく大学進学、就職を考えた。でも、おぼろげだけど確かに持っていた「音楽がやりたい」という思いには勝てなかった。世間で言うフリーターという道を選び、悩みながらも音楽を続けた。「周りには『いつまでやってんだよ』って後ろ向きなことばっかり言われてましたね」。それでも、「安定した収入を得て、老後のために貯金してっていう生活のために音楽を辞める選択肢がなかった」。
届き始めた僕らの音楽
即興で音を合わせていくセッションバンドというスタイルを確立し始めた20歳ごろから、横浜を中心に路上やクラブ、バーでライブを重ねる。桜木町の駅前、福富町や伊勢佐木町など横浜の裏カルチャーの発信地での経験は、彼らの独特の音楽性を磨いていった。「気付いたら月10本とかライブしたりイベントに呼んでもらえるようになっていて」。2006年にメジャーデビューすると順調に評価を重ねアルバムはオリコンチャートにもランクイン、イベントにも数多く出演、今では野外フェスの顔とも言える存在になった。
「就職しろって説教してた友達が『CD買ったよ』なんて最近優しくなってきました」と笑う。「でもいまだに安い牛丼食べてたり、生活に劇的な変化はないんですよ」。そんな中でも、昔と大きく変わったのはステージから見える景色。「数年前まで、路上で工事現場のおじさんが客になったりしてたのに、こんなたくさんの人前に立ってるんだって、未だにびっくりします」。
ゆるやかだけど確実に多くの人に届いてきた彼らの音楽。「地元横浜でフェスを主催するのが夢。会場は大黒ふ頭とか良いな。自分の家からも近いし」。おごることのない自然体でおおらかな話しぶりからも、音楽の寛容性が見える。彼らの音楽を育てた横浜でまた一つ夢が叶うとき、ステージから見える景色はどんな風に広がっているだろうか。
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