宗教思想の実践めぐり議論 明学大シンポ「震災と宗教」
明治学院大学(上倉田町)で1月7日、同大国際学部付属研究所主催の公開シンポジウム「震災と宗教」が開催された。
定員500人の会場がほぼ満席となった同シンポでは、原武史所長の司会で、4人のパネリストが登壇。東日本大震災以降の人々の意識の変化にふれながら、「宗教が果たすべき役割」「日本人にとって宗教とは何か」を問い直した。
原所長は冒頭、「大震災ではおびただしい死者が出て、埋葬すら追いつかない異常な状況が続いた。『死』と向き合うには、宗教とは何かを考えざるを得ない」と問題提起。
それを受けてまず、宗教学者の島薗進さんが、「被災地では、足湯ボランティアや傾聴など、従来とは違う役割を果たそうとする若手僧侶が増えている」と言及。「個人的には宗教はどれでもいいと考えているが、宗教者・団体には『開かれた公共文化』が求められているのではないか」と述べた。
フランス哲学者の西谷修さんは、「既存の宗教制度や伝統を越えたところで、宗教者・団体の社会的な存在価値を見直す動きが出始めている」と呼応した。
求められる公共性と主体性
また、日本文化学者のヴィーシィ・アレキサンダーさんは「『宗教者・団体が社会の改善に積極的に関わるべきか否か』を学生たちに尋ねたところ、『強い違和感がある』という声が聞かれた」と紹介。一方、宗教学者の阿満利麿(あまとしまろ)さんは「特定の宗教を信じる人に対して閉鎖的なイメージを抱きがちだが、主体性を築くには立脚点の選択が不可欠。どれでもいいというのは、自由・平等とは違う」と語り、「宗教とは、死のためではなく、災難に束縛されない自由な生を獲得するためにある。宗教について考えるなら、机上で議論するだけではなく、一つの思想を選択し、実践する中で答えを求めていくべき」と参加者に投げかけた。
参加者からは「一人ひとりが実践を通して宗教を知るという視点を得られた」(50代女性)、「宗教は特殊なものと考えていたが、普遍的なものだと気付けた」(60代女性)などの感想が寄せられた。
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