「1964年の東京オリンピックで戸塚(横浜)はどう変わったか」。そんなテーマで学生が調査をし、まとめた結果を発表する鈴木太郎政策研究所インターンシップ報告会が9月、戸塚区総合庁舎で行われた。
学生インターンの3人はそれぞれ「横浜の当時の状況」「戸塚の変遷」「横浜の課題」を担当し、スライドを使って研究結果を発表した。東京オリンピック当時、港町である横浜に外国人観光客が増加した結果「不夜城」と呼ばれるようになった背景や、それに伴い戸塚も人口が飽和状態になった変遷を、社会・経済・政治などの側面から分析した結果を解説。参加者は真剣な表情で耳を傾けた。
発表後、質疑応答が行われ、「戸塚は東海道が通る街だが、何か有効活用する方法はないか」など、学生の視点から見た地域活性化について聞いてみたいといった質問が多く出た。
インターンの一人である森岡彩乃さんは「横浜市は東京から富士山へ行く観光客に、横浜での途中下車を期待している。戸塚も途中下車駅になれば」と話した。
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