再開発前の戸塚駅前の商店街などを描き残したことで知られる、汲沢の画家・田谷そよさんが7月25日、80歳で急逝した。それを受け、9月1日、2日にそよさんのギャラリーでお別れ会が行われる。
「突然逝ってしまい本当に驚いています」。こう語るのは、一人息子の祐紀さんだ。
7月25日未明、自宅で心不全を起こし亡くったそよさん。祐紀さんの強い思いから2000年に開設した「あーとすぺーす風」(汲沢4の21の7)で9月1・2日にお別れ会を開催する(午前10時〜午後6時)。
両日はそよさんが残した、季節の花々などを題材にした水彩画が展示される。祐紀さんは「母の作品づくりの拠点であり、思いがつまったこのギャラリーへ気軽にお越し頂ければ」と話している。
40代から本格始動
そよさんは、1938年に鶴見区で生まれる。戦争中に両親の故郷である愛媛県に疎開、そのまま高校卒業まで過ごす。多摩美術大学の図案科進学と同時に上京。卒業後は企業のデザイン室に勤務していたという。26歳で結婚し、30代前半に汲沢に転居してきた。祐紀さんの幼い頃の記憶に残るのは自宅で皮革工芸に取組む、そよさんの姿だ。「とにかく手先の器用な母で、業者から注文を受けたバッグを中心にアクセリーや人形まで、皮を使って作っていました」と懐かしむ。元々得意だった絵に本格的に取り組み始めたのが40代の頃。自宅近くの空き地などに咲くたんぽぽやすすきなどから描き始めたという。水彩画を選んだのは、手軽に筆を握れることと、さらっとした風合いが好みに合っていたからと祐紀さんは推測している。
膨大な数の作品を生み出しながら、60歳を越えた頃に「あーとすぺーす風」を開設。月の始めは常設展を、中旬は絵画教室を開くなど、指導にも力をいれていた。
そんな中、戸塚駅前の再開発が始まる。失われていく昔ながらの商店街の風景を描き残そうと、キャンバスに向かったそよさん。これをまとめたのが生前、ただ一冊の画集として世に出した「戸塚はこんな街でした」だ。
この画集は評判となり、そよさんの代表作となった。
祐紀さんは「母は描きたい題材を描き続けた。でもまだ描きたりなかったかも知れない。一方で私にたっぷりの愛情をそそいでくれた。感謝しています」と静かに語った。
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