パシフィコ横浜の新社長に就任した 光田 清隆さん 市内在住 61歳
仕事の信念は「正直さ」
○…「写真撮るんだっけ。格好よく撮ってね」。白い歯を見せてエネルギッシュに話す語り口が印象的だ。6月24日付で株式会社横浜国際平和会議場(呼称・パシフィコ横浜)の新代表取締役社長に就任。「市民の皆さんにパシフィコの良さを改めて知ってもらいたい」と就任の意気込みを語る。「例えば、昨年開かれた国際幹細胞学会に参加した山中伸弥教授が地元の高校生と交流会を行うなど、横浜にこの施設があるからこそ経験できることがある」。横浜の活性化のために行政や近隣商業施設とともに国際的な都市のブランド向上にも使命感を燃やす。
○…岡山県出身。中学3年の時に夜行列車に揺られて横浜へ。「明け方に横浜駅に着いて、叔父が住む上永谷に行くために京浜急行の先頭車両に乗った。そうしたら、電車が家の軒先をすごいスピードで通り過ぎていって、カルチャーショックだったね」と笑う。その後移り住んだ当時まだ分区前の戸塚区鍛冶ケ谷で母が乾物屋を営み、大学時代は市場の仕入れなどを手伝った。「横浜の人々は自分たちをすぐに受け入れてくれた。すごく暮らしやすくて本当に落ち着く素晴らしい地域でした」と振り返る。
○…大学院修了後、横浜市に入庁。港南区副区長や栄区長、文化観光局長、経済局長などを歴任した。その中でも特に思い出深いのが栄区長時代。「栄区の将来を一緒に考えようという区民の方々の熱意が嬉しかった。私は本当に地域の方々に育ててもらいました」としみじみ語る。ポリシーは「正直は最大の戦略なり」。区長時代に膝突き合わせて人々と語った経験が今も役立っている。
○…趣味は40歳を過ぎて始めたバイク。1200ccの大型にも乗っていたが、周囲に心配され今は息子が手放した750ccに。「いつか息子と北海道にツーリングに行くのが夢」と楽しそうに語る。その夢はしばらくお預けになりそうだが、新社長の手腕に期待だ。