広州アジア大会セパタクロー男子団体銅メダリスト 飯田 義隆さん 寺前出身 31歳
悲願の「銅」 次代で「金」へ
○…「足のバレーボール」とも呼ばれる球技・セパタクロー。その日本代表として、12年間にわたり活躍した選手生活にピリオドを打った。「試合の緊張を感じられなくなるのはさびしいですが、選手として目標以上の成績が残せましたから」と語る。2010年広州アジア大会で悲願のメダルを獲得。引退試合となった昨年の世界選手権でも強豪・マレーシアから初勝利を奪い、有終の美を飾った。「満足して終われるのはとても幸せです」と笑顔を見せる。
○…小学生のころからクラブに所属していたサッカー少年。「ランドセルを置いてずっと外で遊んでいました。金沢は海も山もあって、体を動かすには良い環境だったかもしれませんね」。中高でもサッカー部で活躍した。進学した亜細亜大で、たまたま誘われたセパタクロー部への体験入部が、すべての始まりだった。「先輩がすごく高いところでオーバーヘッドを決めたんです。そんな見た目の派手さに魅了されました」。入部してまもなく才能を開花させ、翌年に早くも日本代表に選出。学生選手権では無敗を誇った。
○…大学卒業後は就職を選ばず、アルバイトをしながら年数回タイへ「武者修行」に出かけた。競技力向上のため、「日本では出会えない強い選手がゴロゴロしている」という”セパタクロー大国”で積んだ数々の経験。これが、かつて世界にまったく太刀打ちできなかった日本代表を、メダルの獲れるチームに押し上げる原動力になった。
○…「第一線で競技を続けてこられたのは、周囲の理解のおかげ」と改めて感謝の気持ちを語る。コーチとなった今の目標は「8年後のアジア大会での金メダル」。そのために力を入れるのは、中高生らユースの育成だ。現在の活動は東京が中心だが、数年後には地元横浜でも育成の環境を整えたいという。「誰でも努力次第で日の丸を背負える」セパタクローの魅力を、指導者として伝え続ける。
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