六浦東に住む佐藤義啓さん(84)が、自らの手で自宅を建てようと、40年以上工事に取り組んでいる。専門知識を持たずに、作業のほとんどを一人で行い、全体の8割が完成。残る一部屋の工事を進め、竣工をめざす。
観光バスの運転士として働いていた義啓さん。同僚に頼まれ、社員寮などをよく修理していた。あちこちを直すうち、こんな考えが芽生えた。「これなら、自分の家ぐらい建てられるだろう」。自宅に住みながら、敷地内に新しい家をつくることを決めたのは、1970年のことだった。
図面を方眼紙に描き、イメージを膨らませる。材料は、道具は…構想を練りに練った。モデルにしたのは、仕事で訪れた飛騨高山の町並み。「軒先が張ったお宮の雰囲気にしたくて。それから、基礎には私がバスで行った全都道府県の石を入れて…」。そんな理想を形にするために、長い長い挑戦が幕を開けた。
「作業はほとんど見よう見まね。あとは、材料についている説明書を見たり、専門店に聞いたりして、少しずつやりました」と義啓さん。工事をするのは休日のみだったため、基礎だけで3年の歳月を要した。鉄骨の組み上げこそ業者を入れたが、その後も外壁や屋根、内装や左官などの一切を一人で行い、必要な資格も独学で取得。決して投げ出すことなく、工事を進めていった。
周囲の支えで完成へ
今年で起工から41年。8割以上の工事が終わり、残るはあと1部屋となった。
煉瓦風の外観は、とても素人がつくったものとは思えない出来栄え。石畳風のエントランス、きしみもなくきれいに張られた床、落ち着いた雰囲気の寝室など、随所に義啓さんのこだわりが見える。「200年もつ家にしようと思ってつくりました。高山の民家がモデルだから、最初からちょっと古びた感じを出してるんです」と笑う義啓さん。80歳を超えた今は、病気を療養しながら少しずつ作業している。
「これまで本当にいろんなことがあった。『もう嫌。やめて』と何度も言いました」と振り返るのは、妻の和代さん(80)。義啓さんが留守のとき、大雨で基礎にたまった水を一晩中汲み出したこともあったという。けんかも絶えなかったが、家族は支え続けた。
長女の相澤裕子さん(56)は「子どものころは、素人に(家づくりが)できるはずないって思っていました。でも、ここまでやりとげた。それができる人って、なかなかいないですよね」と笑顔で話す。横須賀に嫁いだ今も、信念を貫く父の背中を見守っている。
たくさんの汗と涙が詰まった我が家の完成は、もうすぐそこ。義啓さんは、「なんとかあと2年くらいで完成させたい」と意気込んでいる。
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