すべてが流されたこの景色をずっと見てはいられない。物資ではなく、花や緑がほしい――。
東日本大震災から約1年経った昨年春。家を流され、丘の上の仮設住宅で暮らす宮城県本吉郡南三陸町の被災者のこの言葉から、人が集まり交流できる「コミュニティーガーデン」プロジェクトは始まった。
プロジェクトを実施したのは横浜市内外で活動する、NPO法人日本園芸療法研修会(澤田みどり代表)の有志。植物に触れることで心を癒したり、リハビリに応用する「園芸療法」がガーデン作りに合うのではと知人から提案を受け、昨年4月、現地へ足を運んだ。
場所は被災者の家の跡地。国からの補助金を得るため、家の基礎を残す必要があり、そのまま利用した。土を掘るたびに出てくる割れたガラスや生活用品。「こんな所に作れるのだろうかと思いました」と話すのは、参加者の明(あけ)直子さん(谷津町在住)。一方で塩害に負けず芽吹く植物の姿もあり、力をもらったという。
仕事の都合で現地での作業は2カ月に1度。金曜日の夜に現地に向かい、作業をし、日曜日の夜に戻ってくる強行日程だ。短期間で子どもや高齢者でも作業がしやすい高めの花壇や果樹園、砂場などを作り上げた。
すべて完成したのはコスモスの花が咲く9月末。そのころには子どもたちの遊び場として定着した。「子どもたちが砂場でお花のケーキを作ってくれたんです。本当にうれしくって」と澤田代表は笑顔を見せる。
移転の危機に被災者が奔走
しかし完成から間もなく、町の復興計画により建築物の撤去が決まり、ガーデンは移転を余儀なくされた。この時、即座に対応ができない同会に代わり、動いてくれたのは現地の人だった。工事の先延ばしを役場に交渉し、移転先探しに奔走。ガーデンは近隣の施設など数カ所に無事移転できた。「7カ月かかったのに、移転作業はたったの3日間。あっという間。でも被災した方が『大丈夫、大丈夫』と声をかけてくれた。こっちが励ますつもりだったのに――」
同会は今後もニーズを聞きながら、花を使った作品作りや収穫パーティーなど活動を継続していく。
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