金沢区の名所の視点…そうだったのか! 龍華寺の寝心地 文・黒沢明(金沢区在住)
時は西暦1600年。有名な天下分け目の関ヶ原の戦いがあった年の6月、徳川家康は、上杉家を征伐すべく大坂から会津へと向かっていました。途中、江の島、鎌倉などを巡り、7月1日に金沢区の龍華寺で宿泊したと言われています。
西国では石田三成挙兵という動きもあるなか、今でいう「ワンランク上」の観光めぐりをしているとは…そもそも家康はなぜ、龍華寺に泊まったのでしょう。
1.せっかくの機会だからと、源氏ゆかりの地、鎌倉と周辺の観光地を巡った(つまり打つべき手は打ったという余裕)
2.大坂から会津への道のりは西国の石田三成ほかの軍勢とは方向が逆。急いで北上した場合、引き返すのに問題があるため
3.本当はこの地を駆け足で通り過ぎるつもりだったが、龍華寺を訪れた際「龍源寺(りゅうげんじ)」と聞こえ、源氏の末裔を名乗る家康は「吉兆の寺号だ」と感動し宿泊したのでは。
皆さんはどの考えだと思われますか。あるいは別の考え方が?想像をめぐらすのも楽しいものです。
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