1945年3月10日。東京大空襲の日は、笹岡照子さん(69/富岡西在住)がこの世に生を受けるちょうど1カ月前だった。
臨月の母親は火鉢の灰の中に愛用の和ばさみを埋め、父親は100枚のオムツを入れたブリキ缶を庭に穴を掘って埋めた。そして幼い兄と姉を連れて、火の海を逃げたという。家族は九死に一生を得たものの、家は全焼。焼け跡で見つかった真っ黒な和ばさみは母親が他界した今でも、笹岡さんの大切な宝物だ。
「終戦子は戦争をくぐり抜け生まれてきた。それぞれドラマがある」と笹岡さん。「生まれるのも育つのも大変」だった世代は、入学式や卒業式、成人式などの節目に必ずといっていいほど「あの終戦子が…」という感慨を持って大人たちから見られてきた。「『命を大事に生きなければいけない』という思いは他の学年以上に強い」と話す。
そんな思いと創作活動は無縁ではない。戦後70年を迎える今年、笹岡さんは5度目の個展を表参道(東京都港区)で開く。60代で描いた銅版画「最年少罹災者の描く東京大空襲シリーズ」を始め40点以上の作品を展示する。「終戦子として使命感のようなものはある。多くの人に見てほしい」
「終戦子」…終戦の1945年度に生まれた子どもたちを指す。前後年度と比べ極端に人数が少ない。
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