地震被害にあった熊本を支援するため、南部市場で物産市を開く 瀧澤 博さん 神奈川区在住 59歳
「自分にできる支援」で息長く
○…秋田を出発すると全国各地で支援物資を集め、熊本に到着した復興支援のトラック。この横浜―大阪間のドライバーに名乗り出た。本業は南部市場、水産の仲卸。「364日が仕事。でも自分にできる範囲の活動なら続けられる」。横浜にとんぼ返りするも、最後まで見届けたいと熊本へ。農家の被災状況を知ると、「小遣い」で買えるだけ、かぼちゃやすいかなどを買い込み帰ってきた。「市場だからできる支援がある」。新たにつないだ農家との縁で、物産市が始まった。
○…3人兄弟の真ん中。決して裕福な暮らしではなかった。「食べ物も我慢。おかげで我慢が身についた」と笑う。「でも今は食べたい物をいつでも食べられる時代」。母と妹を難病で亡くし、自身も49歳で大病に。体をつくる「食」に関心を高めた。食育インストラクターに予防医学指導士――食の大切さを伝えようと資格をとり、食育映画祭を目論んだ矢先、起こったのが東日本大震災だった。
○…発災翌月から市場の有志でトラックに水や米をつめ込み、4カ月間気仙沼に通った。「でもいくら満タンにしても追いつかない」。身の丈にあった支援を模索していた。同時に沸いた「事実を知らない」ことへの怒り。「正しいことを伝えたい」。かつて思い描いた映画上映とリンクする。ならば再生可能エネルギーで上映しようと発想。春夏秋冬、心に訴える映画を流してきた。「ライフワーク」とほほ笑む。「毎回手伝ってくれる人など、必ず一人、つながる人が現れる」。思えば物産市も、つながった仲間が仲間を呼び実現したものだ。
○…37年、市場の移り変わりを見てきた。「活気の復活」を願う。食育はまわり回って魚ばなれの防止につながる。正しい食生活を取り戻すために農家の存続は絶対だ。活動に導くのは一貫してぶれない信念。夢は「人と品物が集まる楽しいマルシェ」の開催。「その中心に食べ物がある。そんなマルシェを仕掛けたい」
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