発達障害がある息子との日々をつづった「チャリンコよっちゃん」の著者 杉原 ユウ子さん 六浦在住 67歳
息子の成長、母の光に
○…「みんな優しい。横浜が好きや」――。30年以上暮らした姫路を離れて戻った横浜で、発達障害のある長男が言った。度重なるパニックで荒れ、物や自身の身体を破壊していた頃から落ち着きを取り戻しつつある。「時が彼を成長させ、環境が彼を変えていった」。息子との生活をつづることで、同じように悩む母親の小さな救いになれば。そんな思いで筆をとった。
○…六浦出身。親が薦める教師の道から逃れるように看護学校へ。結婚後、夫の実家がある姫路で看護師として働く中、長男を授かった。「傲慢なお母ちゃんだった」。漢字の書き取りだけで2時間。学力は遅れをとる一方だが、小中学は普通クラスに通わせた。だが学校での不満は家で爆発する。「新築の家に穴が100ヵ所以上」。頭をかち割っては流血騒ぎ。そんな日々も慣れてしまえば「またかいな。薬つけとけば治るわって。看護師の経験が生きた」と快活に笑う。
○…「おかん怒っとんのけ」。価値観を押しつけていたと気付いたのが、繰り返されたこの言葉。養護学校へ進学すると、平穏な姿に近づいていた。パニックが起きても部屋の隅で100まで一緒に数える。そうして抱くと静まるのだ。「チャリがあれば日本中行ける」と教師が薦めた自転車も自信をつけた。筋肉もつけた。ある日、長女の使う草刈り機が太ももをざっくり切る事故が起きた。骨まで届かなかったのは筋肉のおかげ。「そばにいた僕が悪かった」。うろたえる長女にかけた一言が胸に刺さる。「あの場面で妹を気遣えるとは本物の人間。光るものを見た」
○…受け入れられない環境下でも、外に連れ出し何でもやらせた。36歳の今では一人で暮らし炊事洗濯もこなす。相棒は自転車。「堂々と風を切ってどこまでも行く。自然に息ができている」。手が離れつつある今、次は多くの母親と話がしたい。「一人の戦うお母さんの気分転換になれば。よってらっしゃいって」
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