55年前の1964年の今日10月10日、東京オリンピックは開幕した。来年の東京2020を前に、当時聖火リレーに副走者として参加した佐藤邦彦さん(72)に話を聞いた。
当時、金沢高校(瀬戸)の2年生だった佐藤さんは、バスケットボール部に所属。「学校に部活の生徒を走者として出してくれという依頼がきたようだった」と振り返る。佐藤さんが保管していた正走者や伴走者の名簿には、15歳〜20歳の若者が名を連ねる。
佐藤さんの担当は横浜市第1区。横須賀市を通ってきた聖火を追浜共済病院前(現南共済病院)で受け取り、当時町屋にあった金沢区役所前まで走る約2・2Kmのコースだった。誰が正走者になるか分からない中、本番の約4か月前に行われた試走会では、トーチを持ち正走者として走った。当時のトーチの燃料はカーバイド。「ものすごい煙だった。煙や炎が顔にあたらないように、横に持ちました。耳のそばでゴォーっという音がしていたのを覚えています」
本番当日の10月7日は、聖火を持って走る正走者のすぐ後ろにつけ、不測の事態が起こった場合に代役を務める副走者として走った。「無事に走れたらと思っていた」と述懐する。
佐藤さんは2016年に心臓大動脈弁置換手術、今年4月に食道がんのステージIIと診断され翌5月に食道全摘手術を受けた。胃の一部も切除し、体重は11kg減。今は杖を使って歩く。
そんな中、来年の五輪に向け神奈川県が聖火ランナーを募集しているのを知った。「身体障がい者1級でも”まだまだ頑張れるぞ”というメッセージを同じような病気と闘っている人たちに届けたい」。そんな思いで応募した。発表は12月。倍率は約165倍の狭き門だ。「年内はリハビリのつもり。できる限り筋力をつけないと」。気持ちは常に前向きに──。2大会連続の参加を目指す。
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