自衛隊と街づくりの経験を金沢区へ 意見広告 山中市長と未来をマモル! 立憲民主党 金沢区市政本部長 さくま衛(まもる)
1995年1月、陸上自衛隊松本駐屯地で就寝していたところ揺れに襲われ、二段ベッドから飛び起きました。6千名を超す被害者を出した阪神淡路大震災の発生の瞬間でした。
その後すぐにトラックに物資を詰め込み、被災地への支援体制を整えましたが、派遣命令が出ず、テレビで増える被災者の数字をじっと見ていました。我々の部隊も合流すれば、もっと多くの被災者を助けることが出来る――。あの時ほど悔しい思いをしたことはありません。
当時は、都道府県知事が災害派遣を要請する手続きが複雑で、自衛隊単独で活動することは事実上不可能でした。私はそこで、政治の意志決定プロセスが、いかに人と社会の安全を左右するのかを痛感いたしました。
商店街再生請負人
ほぼシャッター通り商店街だなぁ…、それが久しぶりに中区の吉田町に戻った際の印象です。高齢化もあり商店街と町内会が同時に解散。そこで先輩や若手を集め商店会をもう一度立ち上げ、多くのイベントを仕掛けました。最初は理解を得られませんでしたが、それでも20年活動を続け、市に表彰される商店街へと変貌を遂げました。人と正面で向き合い、活動を続けること。それが解決への道のりです。
近年、街に住む人々の顔の見える関係が、どんどんと希薄になっています。大切なのは、支え合いの社会を地域でどう構築していくかです。そのためには、まず人と人とのつながりを作ること。困ったことがあれば互いに助け合える街づくり、誰もが幸せに暮らせる社会を実現する。それが大切だと思います。
政治は危機の時に本質を表す。たとえ何らかの災害で金沢区が危機の時に、本当に必要な行動を迅速に取れる。私は仲間である、しのはら豪衆議院議員と力を合わせ、区民の皆さんの安心・安全を、全力で衛(まも)る政治を実現します。
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