今年、2011年は「卯年」。3月に上笹下ケアプラザが開所するなど、様々な出来事が予定されているが、過去の卯年、磯子区ではどのようなことが起こっていたのか。歴史とともに、卯年の磯子区を振り返ってみた。
今から84年前の1927(昭和2)年、4月に屏風ヶ浦(森、中原、杉田)と日下村が横浜市に編入された。それに続く10月1日、市が区制を施行したことから、鶴見区、神奈川区、中区、保土ケ谷区とともに、磯子区が誕生。当時は、滝頭町、磯子町、岡村町、森町、中原町、杉田町、矢部野町、田中町、栗木町、上中里町、峰町、氷取沢町、西根岸町、丸山町の14ヵ町体制でのスタートだった。区発足を受けて、12月には区役所、そして磯子警察署が完成し、本格的に磯子区が動き出した。
サンフランシスコ講和条約が締結された1951(昭和26)年には、4月に区社会福祉協議会が結成され、区内の保健福祉体制が整えられていく。12月には、後に屏風浦小学校として独立する、杉田小学校杉田分校が開校している。
48年前の1963(昭和38)年は、磯子区にとって大きな変化の1年となった。年明け早々の1月、滝頭小学校の分校だった岡村小学校が独立。2月には湾岸の埋立エリアに新磯子町、新森町が新設された。5月25日からは、汐見台団地の入居が開始され、人口が大幅に増加。新住所として汐見台が新設されている。
1975(昭和50)年には、3月に市道環状2号線の森地区が完成し、5月には第1回となる磯子区民会議が開催された。
利根川進氏がノーベル賞を受賞した1987(昭和62)年は、1月に上中里地区センター、2月に磯子スポーツセンター、10月に久良岐能舞台がそれぞれ開館。また、区制60周年記念式典が行われ、梅が区の木、コスモスが区の花として制定される。また、区内の主要交通手段である国鉄が民営化され、JRとしてスタートを切った。
直近の卯年となる1999(平成11)年は、区内の道路整備が進んだ年だった。4月に市道環状3号線の坪呑・杉田間、7月に国道357号線の新杉田・新磯子町間が完成。また、8月には滝頭の万治病院跡地に市脳血管医療センターが開院したほか、11月には区役所、公会堂、図書館が入る区総合庁舎の改修が完了し、業務を開始している。
84年前の卯年、人口2万9824人でスタートした磯子区は、現在、16万5498人(平成22年11月30日現在)。今年の卯年はどんな1年になるのだろう。
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