貞昌院住職が語る永野小 戦中から今までの変遷
永野小学校近くにある貞昌院の亀野哲雄住職(79才)も同小の卒業生の1人。在校時の様子についてインタビューした。
「あの頃は田舎だった」と話すように、周囲は山や畑しかなく、校舎のすぐそばの井戸水が生活用水だったという。「当時は上永谷、下永谷、芹が谷、上野庭、下野庭の全域が学区だったが、クラスはたった1つきりで済むほど人数が少なかった」。この頃の永野小には教室と職員用の部屋を合わせても10室程度しかなく、平屋造りだったという。
戦時下には同小の教室も日本軍の食糧貯蔵に使用され「2教室の床板をはがして、段ボール箱を積んでいた」と振り返る。教室数が減った影響で、近隣の寺院や町内会館で勉強を行っていたことも。「横浜の空襲の影響で疎開してきた児童もクラスにいた」。
終戦を迎えたのは6年生のとき。「終戦後には山や畑からどんどん住宅地になり、今では永野小から派生した分校もいくつもあるくらいだ」と同小の長い歴史の変化を見つめて感慨深げに話していた。
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