港南区港南台在住の島田輝男さん(78)と長男で笹下在住の島田善輝さん(41)は、それぞれ専修大学、神奈川大学の選手として箱根駅伝に出場した経験を持つ。第89回箱根駅伝を明日に控え、2人に当時のことを振り返ってもらった。
箱根路を走った事実は同じでも、2人にはそれぞれ別のドラマがある。
輝男さんは専大の選手として1959年の第35回大会から62年の第38回大会まで、4年連続して箱根駅伝に出場。区間は3区、1区、1区、4区を走り、第36回大会では区間3位の成績を残した。また、輝男さんが箱根駅伝を走ったのは24歳から27歳の時。高校卒業後、働きながら会社の陸上部で走っていたところ、スカウトされ大学に入学した。活躍を期待されて入学したため、重圧も相当なものだった。昼間は仕事、夕方に練習、夜は授業という日々を過ごしたという。そんな中でも結果を残し続け「エース」だったという輝男さん。陸上と授業との両立も大変だったが、学校の成績も非常に良かった。「本当に必死だったよ」と笑顔で当時を振り返る。
善輝さんは3年生の92年、第68回大会に出場。神大は18年振りの出場だった。駅伝がスタートし、往路は15チーム中の最下位。その日の夜、合宿所で最後まで走り抜くことを仲間と誓い、9区で襷を受けた。走りだすとすぐに大歓声に包まれた。それはまるで「夢の中を走っているような感じ」。亜細亜大学の選手との並走が続くが、振り切る力走を見せる。鶴見中継所が近づき、側道に入る。10区の選手が目に入ったそのとき、繰り上げスタートの号砲が鳴り、走りだした後輩の姿が目に入った。あと少しで途切れた母校の襷。「悔しさ、申し訳なさはあったけど、ベストは尽くした。でも、あと1歩ごとに、1センチずつ詰めていれば間に合ったのではという想いがある」と当時の心境を語る。
一生の支えに
駅伝の魅力は「チーム対抗だけど、個人の争いでもある」ところだと2人とも語る。本番で競うのは、もちろん他校の選手。しかし、他校の選手と競う前には、チームメートとの競争がある。自身をそれほど強い選手ではなかったと謙虚に語る善輝さんは、時に「あいつが怪我をすればおれが」というような考えが頭をよぎることもあったという。箱根駅伝とは、それほど厳しい争いを勝ち抜かなければ立てない舞台。しかし、同じ時間を共有し、共に歩んだ仲間との絆は今でも強い。また、4年間を通じて1番走れていた年に出場した巡り合わせもあり、「チーム、チームメートに感謝している」と真摯に話す。
走っている最中は「孤独だし、つらい」と善輝さん。ただ、陸上をやっていたこと、何かをやり抜いた経験が、生きていく上で大きな自信になっているという。何か困難に直面した時、起き上がる強い心が作れたと2人は口を揃える。
走ることの大変さを理解しているから、善輝さんの10歳と6歳の息子には「やってくれたらいいけど、強制はしない」と2人は話す。しかし、「親子も珍しいけど、親子孫の3代は本当にいないらしいから」と輝男さんは期待を笑顔で話している。
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