いろは歌留多を制作、発行した 田中 茂さん 上永谷在住 78歳
絆のある日本のために
○…「いと長き 谷間につづく 千枚田」。永野の昔ながらの生活を題材にした「いろは歌留多(かるた)」を発行した。絵札と読み札は地域を取材して手作りした労作だ。
○…職業はドキュメンタリーカメラマン。山歩きが好きだった受験生時代に、ドキュメンタリー映画のスタッフと知り合い、丹沢の取材に荷物持ちとして参加したことが一生を決めた。以後、障害者や交通問題など、社会問題全般を取材する一方で、神奈川県山岳連盟に同行したヒマラヤ山脈・ローツェを始めとして8000m級の山々やインダス川源流、ニューギニア奥地など世界各地を取材してきた。山岳取材では就寝中に雪崩に巻き込まれたことも。命を失う恐怖にも「怖くはあるけど、被写体を見るとどうしても。職業病かな」と雄大な自然の抗えない魅力を照れたように話す。
○…行く度に変わる自然の魅力に取りつかれ、1990年から7年間、丹沢の塔ケ岳山頂にある山小屋「尊仏山荘」の小屋番を務めながら撮影を続けた。足かけ10年にも渡って撮り貯めてきた映像を編集した「丹沢の四季」「丹沢で出会った花」は代表作だ。一方で、取材で長期間家を空けることもしばしば。子ども2人を任せてきた妻には「頭が上がらない」と笑う。
○…「昔の日本も悪くないんじゃないか」。豊かな自然を取材する一方で、破壊されていく日本の自然。便利な生活と引き替えに失ってしまったものに思いを馳せる。そういった折に発生した東日本大震災と原発事故。クローズアップされた「絆」という言葉に「元々日本人は絆を持っていたじゃないか」。昔の生活や自然の大切さを振り返ることが、改めて絆を考えるきっかけになる。そう考えて歌留多を制作した。歌留多の材料は永野の人々が自然と共に生きてきた姿。子どもたちが自然の中で暮らす生活にふれて、現代社会が失ったものを考え、将来を眺めてくれたら。絆のある日本への第一歩だ。
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