港南区内で最初のケアプラザとして20年前に開館した港南台地域ケアプラザ。八木義之さん(55)は当時、済生会横浜市南部病院に務め、ケアプラザの設置に向けた「在宅医療設備準備室」への出向を命じられた。現在同施設がある「214ビル」も建設中で「病院長や看護部長と一緒に、ヘルメットをかぶって視察に行ったことを思い出します」と振り返る。
開館当時からデイサービス事業には、今とほぼ同じく1日15人ほどの人が通っており、「男性は60代後半、女性は80代後半の人が多かったけど、20年前の80代後半といえば明治生まれなんですよ」と八木さん。また介護保険法制定前だったため、現在のような点数制ではなく、利用ごとに負担金が徴収されており、「領収書を封筒に入れて1人ひとりに手渡していたのも、今とは全然違う」と懐かしむ。
蓄音機で今もなお
その後、地域交流部門のコーディネーターを1999年まで務めた。自前の蓄音機を持ち込み、レコードを聴きながら当時を振り返る「昭和の流行歌と蓄音機」は、今なお続く人気講座でこれまでに80回以上を数える。「転勤先まで『またやってよ』と言いに、わざわざ会いに来てくれた人もいて。そう言われちゃうとね」と経緯を明かす。
「『来年も、1人も欠けることなく元気にお会いしましょう』とあいさつするのが年末恒例で、切実な願いなんです」と八木さんは目を細めて語っていた。
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