港南区・ひぎり地区の宅地開発から50周年を迎え、22日に日限山小学校で記念式典が開かれた。地元住民ら400人以上が参加し、演芸を楽しみながらにぎやかに町の節目を祝った。
式典ではひぎり連合自治会の齋藤史明会長や港南区の今冨雄一郎区長のあいさつに続き、周年事業の功労者らに感謝状が贈られた。その後はステージで各種演芸が披露され、ウクレレ漫談・ぴろきさんや地元のアカペラグループ「オープンロード」がお祝いムードを盛り上げた。催しの締めくくりとしてカレーライスが振る舞われ、子どもから高齢者までが食事を楽しみながら親睦を深めた。
まちの変遷振り返り
「ひぎり地区」の宅地分譲が始まったのは港南区が南区から分区したのと同じ1969(昭和44)年10月。当時の新聞広告は「横浜《港南区》の発足とともに誕生した緑のニュータウン」とのキャッチフレーズだった。
「日限山」は当時の上永谷町、下永谷町、野庭町、舞岡町(戸塚区)の一部から住所表示の変更で生まれた地名で、地元の「日限地蔵尊」からつけられたという。現在は約3000世帯の住民が暮らしている。
50周年に合わせた郷土誌は、5年ほど前に編纂委員会を発足して準備を進めてきた。郷土誌には宅地開発からその後のまちの変遷がエピソードを交えて紹介されている。ひぎり郷土誌を手にした今冨区長は「ひぎり地区と港南区とは50年間ともに歩んできたことと思う。郷土誌も高度経済成長期の生の声が描かれていて興味深い」と話した。
今後の地域課題としてひぎり地区社会福祉協議会の事務局長を務める齊藤亮さんは「高齢化が進む中で、『利便性』は一層重要になる。またシニアや未就園児の親子などがいつでも立ち寄れる居場所づくりをしていけたら」と話した。
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