「港横濱にはタンゴがよく似合う」。結成30年を迎えた市民楽団「オルケスタYOKOHAMA」が5月5日(祝)に、開港記念会館でコンサートを行う。「横浜で最も愛されるタンゴ楽団」とも評される同楽団を率いる代表の齋藤一臣さん(70)にタンゴへの想いを聞いた。
齋藤さんがオルケスタYOKOHAMAを結成したのは1982年。折しもタンゴの本場、アルゼンチンでイギリスとのフォークランド紛争が起きていた頃。「世界が平和であるためには多文化理解が大切。そのために何かできないかと経験を活かして、『異文化に学ぶ』をキャッチフレーズに楽団を立ち上げた」
タンゴとの出会い
横須賀で生まれ育った齋藤さんがタンゴと出会ったのは高校2年生の時。中学から始めたバイオリン部では1年先輩に小泉純一郎氏が在籍し、卒業後も仲間とオーケストラを結成して練習に明け暮れていた。
その練習のためにバイオリン片手に乗った京浜急行の中で突然スカウトを受けた。相手は横浜駅西口にあったタンゴ専門の劇場キャバレーで演奏していた楽団のリーダー。「当時はちょっととっぽい格好をしていたから目立ったのかな。でも、『これだ』と思って2つ返事で引き受けたよ」。学校帰りに通っていた喫茶店で針が擦り切れるほど聞いたLPレコードがタンゴの名曲「ラ・クンパルシータ」。齋藤さんはこれを機にタンゴの道を歩み始めた。
「当時はキャバレー文化全盛でね。本当にすごかった」と懐かしむ。ホールにバンドの生演奏が響き、まばゆい照明の下で広がる大人の華やかな社交場。そこで高校時代からプロとして毎晩演奏し、腕を磨いた。
「マエストロ」と呼ばれて
大学卒業後、就職して演奏活動が難しくなり一度はタンゴを離れるが、再び転機が訪れた。
社会人として経験を積むうちに、世間の偏差値偏重主義の矛盾や教育の大切さに改めて気付き、28歳で脱サラして横浜で塾を開校。軌道に乗ってきた頃、タンゴへの想いも蘇り、改めてタンゴの将来性を探ろうとアルゼンチンへ渡った。
当時の同国は軍事政権で疲弊し、タンゴ文化も壊滅的打撃を受けていた。「演奏するだけで捕まる悲しい現状を見て、改めて文化を大切にしないといけないと確信した。タンゴを通じて異文化理解を呼びかける楽団の結成を決意した」
そしてタンゴの巨匠、オスバルド・プグリエーセらと交流を深め、タンゴ復興のためにグランドピアノを贈り、コンサートホール改修工事のために多額の寄付をした。その功績が認められ、アルゼンチンでは単なる演奏家ではなく最高の人格者を表す「マエストロ」と呼ばれている。
横浜の物語をタンゴでつづる
「港横濱はタンゴが似合う街。横浜以外では演奏しない」と白い歯を見せる。結成当初は公演に熱心でなかったが、愛好家からは「横浜にレベルの高い幻のタンゴ楽団がある」と噂を呼び、行政からも公演の依頼が来るようになった。
開港記念会館での公演は今年で10年目。今回は「昭和の唄・街の詩」と題し、港横浜の昭和の物語をタンゴでつづる。中区出身で元宝塚歌劇団の叶千穂さんらも出演。曲目は「ラ・クンパルシータ」「夜のタンゴ」ほか。午後2時開演。「『タンゴってこんなに面白いんだ』と思ってもらえるような公演にしたい。ぜひ気軽に楽しんで頂けたら」
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