音楽活動50年を迎え、10月7日からの横浜ジャズプロムナードにも出演する 村田 浩さん 西区平沼在住 74歳
「好きだから」半世紀
○…日本を代表するトランぺット奏者のひとり。小柄な風貌で背中を丸めて演奏する姿は、どこか愛嬌を感じる。今年の「横濱ジャズプロムナード」では、初日の7日に開港記念会館のステージでその日のトリを飾る。ジャズプロへの出演は10回近く。開催初期には「横浜に関わりあるミュージシャンをもっと出すべき」と主催者に提言し、地元の演奏家への門戸を広げた。観客からの最高の褒め言葉は「よく分からないけど楽しかった」。「我々も何十年やっててまだ分からないんだから」と笑い飛ばす。
○…生粋のハマっ子。小学生のころ、映画で見た黒人奏者が金ピカのトランペットを吹く姿に憧れた。高校では吹奏楽部に入ったが、任されたのは別の楽器。それでも同級生からトランペットを借りて、人知れず自宅で練習に励んだ。高校2年からは念願のトランぺッターに。大学でも吹奏楽を続けたが、卒業後はタイプライターの営業マンに。「売る気がなかった」と本人いわくクビにされ、頭に浮かんだのが「ラッパを吹こう」だった。
○…ちょうど半世紀前。世はキャバレー全盛期。ニューグランド近くのナイトクラブに潜り込み、様々なジャンルを演奏した。東京・横浜の店を渡り歩き、転機は75年。馬車道の店に出入りしていた時に、日本のジャズの第一人者・渡辺貞夫さんや八城一夫さんのバンドに相次いで誘われた。時を同じくして住吉町の「エアジン」初代マスターからピアニストを紹介され、自らもバンドを結成。ジャズ一本に絞ったのは「好きだから」の一言に尽きる。バント名の「BOP(バップ)」は、憧れた「ザ・ジャズ・メッセンジャーズ」の演奏スタイル。
○…今ではレンタカーで列島を回り、各地のステージに立つ。開港記念のセントラルフェスでは、馬車道で毎年野外演奏も。ひとり息子はなんと画家。「2年に一度小さい個展を開くくらい。まだまだひよっこですよ」と優しい笑顔を見せた。
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