本牧 気まぐれ歴史散歩 【5】 『明治の外国人リゾートビーチ八王子海岸』
本牧南小学校正門前に三角形の形をした公園があります。ここは昭和38(1963)年に本牧沿岸部が埋立されるまで、八王子海岸と呼ばれた自然豊かな砂浜でした。
その名は、この海岸の後ろの崖の中腹に八王子権現社と呼ばれるお社があった(現在は本牧神社に合祀)ことに由来します。八王子とは牛頭(ごず)天王という神様の八人の子のことで、方除け・厄除けなどの祈願のため、各地で祀られている神様です。
ここは本牧塙と呼ばれる半島の先端となる岬に位置し、海流で洗われ切り立った崖の先は、風向・海流の変化も激しく、荒洲と呼ばれる浅瀬もある海で、船が座礁しやすい難所でした。八王子権現社は、この地で暮らす漁師たちが、海での安全や大漁を祈願して祀ったお社でした。
明治時代になると、風光明媚な本牧岬に位置する八王子海岸に多くの外国人が移り住むようになり、たくさんの洋館が建ちました。百数十年前から、ここは海水浴やボート遊び、バーベキューを楽しむ人々で賑わうリゾートビーチでした。今では三角形の公園と背後の崖、崖裏に残る洋館やお社の碑にその名残りを見ることができます。
次回は、嘉永7(1854)年、ペリー来航時の本牧の様子をご紹介いたします。
(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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