西区の人口が50年ぶりに10万人を超えたことが分かった。横浜市が毎月発表している推計では、11月1日時点で10万34人、12月1日現在で10万124人となった。区ではみなとみらい21地区や横浜駅周辺のマンション増加が人口増につながったとみている。
現在市内18区中最も人口が少ない西区。1944年の区制施行時の人口は約11万人。戦中・戦後の混乱による激減を経て62年には10万5403人に回復。しかし翌年以降人口はゆるやかに減少していき、68年には10万人を割り込んだ。人口統計などを扱う西区役所総務課は減少要因の一つとして「現在のみなとみらい地区にあった三菱の造船所がこの頃本牧に移転しており、従業員が転居してしまったのでは」と推測する。
減少傾向は平成初期まで続き、最も落ち込んだ96年の人口は7万5086人だった。翌年から人口は増加傾向となるが、転機となったのは2003年。みなとみらいの開発が進み、居住エリアが拡大。1千人、2千人単位で毎年人が増えていった。
そして今年、みなとみらい地区では年初に今まで住民がいなかった3丁目と6丁目に大型マンションが誕生。この影響もあり、12月時点で1月から約1500人が増加。半世紀ぶりに10万人の大台を回復した。
区南部は減少も回復の兆し
同課ではみなとみらい地区のほか、平沼や楠町など横浜駅周辺のマンション建設による単身者流入が人口増につながっているのではと分析する。
住民基本台帳人口に基づき、減少の底となった96年と今年11月末を比較すると、人口の増加は約2万3千人。そのうち、当時たった10人だったみなとみらいは8530人に増加。横浜駅に近い平沼は1・2丁目合わせて3000人以上、横浜駅西側で、環状1号を挟んだ楠町は2000人以上当時から増えている。
一方で境之谷や久保町など区南部では96年当時から人口が減少。区全体では「北高南低」の傾向がみられる。ただし前年比で見ると大型マンション建設が進む伊勢町や霞ヶ丘では人口増に転じており、区南部でも今後の人口回復が期待される。
単身者の流入目立つ
国勢調査に基づく推定の世帯数に目を移すと、12月現在で5万3110世帯。96年当時は3万3293世帯と、ここ20年での増加は約2万。単純計算での増加分の平均世帯人数は約1・2人。西区全体では約1・9人であり、単身者の流入が多いことが見受けられる。
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