本牧 気まぐれ歴史散歩 【7】 『八聖殿 実は希少な建造物』
昭和8(1933)年11月、八聖殿開殿の記事が新聞各紙に掲載されました。八聖殿は、昭和初期の内務大臣・安達謙蔵が建立しました。設計・施工は同時期に横浜生糸検査所や神奈川県庁・日本劇場・東京国立博物館などを手掛けていた大林組です。
八聖殿は法隆寺の夢殿を模したとされています。夢殿は八角円堂という造りで、聖徳太子の供養のために建てられたものです。大林組は、夢殿のほか大阪・四天王寺にある正八角形二層構造の鯨鐘楼という鐘楼も参考にしたのではないかとも言われています。
八角円堂も八角鐘楼も6、7世紀までの古来の中国・朝鮮の建築様式を伝えており、正八角形という構造と美しいフォルムから、国宝に指定されているものも多いです。
明治期から、浅草・凌雲閣のように八角形の大きな建物はありましたが、レンガ造だったため、関東大震災で倒壊してしまいました。そこで大林組は、耐震を意識して八聖殿を鉄筋コンクリートで造りました。また、電気・水道・ガスをはじめ、水洗トイレや全館暖房など、その当時では最先端の設備も取り入れました。昭和初期にこれだけの規模・構造・デザイン・設備を整えた個人所有の施設は希少です。
8人の聖人像のご紹介もしたいですが、残念ながら次の機会に。次回は、横浜発展の礎を築き、本牧岬を含む広大な邸宅「小野園」で暮らした小野光景をご紹介いたします。
(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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