横浜における落語や大衆芸能の振興に尽力してきた桂歌丸さんが7月2日に市内病院で死去した。81歳。その一報が流れると翌日には地元南区の横浜橋通商店街に献花台が、館長を務めていた野毛の横浜にぎわい座には追悼記帳所が設けられ、落語の名人の死を惜しむファンが多数訪れた。
中区真金町(現南区)出身の歌丸さん。15歳で五代目古今亭今輔に入門し、のちに桂米丸の門下になり1968年に真打昇進。長年親しまれてきた日本テレビの「笑点」には66年の放送開始からレギュラーとして出演した。その後も国立演芸場の高座にあがるとともに、社団法人落語芸術協会の副会長、2004年には同協会の5代目会長に就任した。
地元横浜では、74年に横浜橋の三吉演芸場で初めて独演会を開催。定期的に独演会や一門会を開くなど地元での活動を大切にしてきた。
また、02年2月に開館した横浜を代表する演芸場「横浜にぎわい座」においても、開場当初から運営の中心的なメンバーを務め、10年7月には玉置宏さんの後を継ぎ2代目館長に就任。誰もが出演できる垣根のない演芸場を掲げるとともに、将来の名人を育てる道場をめざした。
にぎわい座の菅原幸子副館長は「歌丸師匠は、当館の計画段階から検討メンバーとして深くかかわっていただいた」と話し、死去を悼んだ。歌丸さんは、にぎわい座にゲスト出演を含めると通算102回登壇している。
にぎわい座では以前から2階のホワイエに設置されている歌丸館長のパネル横に、11日まで追悼記帳所を設置していた。
演芸以外の活動では、卒業生である旧吉田中学校(現横浜吉田中)の同窓会名誉会長も務めた。歌丸さんと親交のあった中区連合町内会長連絡協議会の平山正晴会長は「とても義理堅い、いい人だった。大変な実績を残した人で日本の宝」と死去を惜しんでいた。
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