創立40周年を迎えた少年野球チーム「唐沢チャレンジャーズ」の監督を務める 吉井 真さん 堀ノ内町在住 52歳
挑戦続けるタフな指揮官
○…自身が創立のきっかけを作ったチームが節目の年を迎えた。石川小6年生の時、18歳離れた兄が草野球をやっているのを見て、友達と一緒に自宅近くの路地を使って野球を始めた。翌年、兄に「監督をやってほしい」と依頼し、1976年、”唐チャレ”が誕生した。練習場所もない中、「学校から怒られないよう、夏休みのラジオ体操後に先生が来るまで校庭を使っていた」と当時を振り返る。
○…高校まで野球を続け、その後は唐チャレ青年部でプレー。98年から少年チームのコーチを務め、2000年に兄からバトンを受け継ぎ監督に。「チーム名通り、常に挑戦者でいたい。強い相手ほどやりがいがある」という。「小学生は技術よりも強い気持ちがあることが大事」と理想の選手像を掲げる。2004年には関東大会で準優勝。頂点にはあと一歩及ばなかったが「優勝の楽しみを取っておかないとつまらないから」。創立時に誓った”いつの日か唐チャレを日本一に”の思いは、いささかも揺らいではいない。
○…3人の娘のうち、長女、三女は唐チャレでプレーした。「次女は『普通の女の子になりたい』と1週間で辞めました」と笑う。大学4年生の三女・萌美さんは、日本代表「マドンナジャパン」の左腕として12年、14年の女子野球W杯の優勝に貢献した。「強い気持ちで指導した」と親心と魂を注いで育て上げた。
○…数店の飲食店勤務を経て、24歳の時、戸部で焼き鳥店を開く。立ち退きを余儀なくされ、知人の紹介で工業装置を扱う会社を興した。その仕事に加え、2年前から再び、日枝町で焼き鳥店を始める。店名は三女の名前を入れた”萌火”。「商売では人情を大切にしたい」と恩を忘れず、二足のわらじを履くことに挑戦。三女の応援で全国を回るうちに温泉巡りが趣味になった。「いつか湯布院に行きたいね」。野球、仕事、趣味にタフな指揮官は、これからも貪欲に挑戦を続ける。
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