僕には障がいのある弟がいます。指は一本しかなく、一人で立つことはできません。
ある日家族で中華街に行きました。しばらく歩いていると僕達家族の周りに沢山の人が集まってきて弟の姿を見ていました。中には笑っている人もいて、僕はとても嫌な気分になり、どうしようもない怒りがこみあげてきました。バスや電車の中でも見られたり笑われたり、弟が乗っているカートを押されることさえあります。このようなことが起こるのは障がいのある人への理解が足りないからだと僕は考えます。
では、どうすれば理解を深めることができるのでしょうか。それは、一人一人が障がいがある人に対して関心をもつことだと思います。
僕が通っていた小学校は隣に障がいのある子ども達が通う、特別支援の学校があります。二つの学校は一緒にご飯を食べたり歌を歌ったり、互いに沢山の交流をしています。この交流が障害がある人も自分達と同じように泣き笑うのだということ、彼らができることとできないことを知るきっかけになるのです。
僕は昨年、悪性リンパ腫という血液のガンになりました。幸運なことにその病気は治りましたが、その副作用で半年前とは少し外見が変わりました。退院後、外見のことでバカにされるのではないかと心配していましたが、久しぶりに学校に行ったとき、沢山の人が「退院おめでとう」と声をかけてくれて本当にうれしかったです。しかし今でも見られているのではないか、笑われていないかと思ってしまうこともあります。そして気が付きました。弟はいつもこんな気持ちなのかと。
僕が自分自身のことや弟のことをこうして言えるのは、中学校三年間の国際教育の学習で、「違い」を理解し相手を受け入れることを学んだからです。外国につながる人がたくさん通う僕の学校は、違う見た目や考えをもつ人がたくさんいます。その中でも、周りのみんなが受け入れているからこそ安心して、堂々と自分の考えや想いを語れるのです。この中学校の環境ように、僕の弟のような障がいのある人もない人も、色々な人がいることを理解することで、「差別」がなくなっていくと思います。
差別をなくすのは難しい。いいえ、誰にでもできることです。大事なのは「理解するという事」。これは誰だってできることなのです。
(スピーチ原稿、全文ママ)
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