上菅田町の松野稲荷に11月24日、石川県能登町にある願成寺の32代目中谷光裕住職が訪れ参拝を行った。同寺とつながりがあることを知った約20年前から交流を深め、26代の戒應住職以来、156年ぶりに実現した。
松野稲荷が能登の願成寺とつながりがあることがわかったのは、1996年10月。新しい社を建てる際に、1858年に改修された社の奉納護摩札を見つけた。
これを解読すると、願成寺の戒應住職が遷宮師を務めたことがわかり、氏子代表の松野弘さんらが、住職の行方を探すため奔走。能登の寺院や公共機関へつぶさに電話をかけ、地元公民館の紹介で願成寺を探し当てた。早速松野さんが手紙を送り、いきさつを知らせ、その後文通を続け、1998年に氏子18人が初めて願成寺を訪問。これまで3回の交流を行ってきた。
能登には帰れず
実は戒應住職、1841年から10年間願成寺の住職を務めた後、江戸に旅立ったことまではわかっていたが、その後消息不明になっていた。
氏子らでの話では、松野弘さんの先祖が宮大工で、安政の大地震で大きな被害をうけた江戸城の修復に呼ばれ、そのときに戒應住職と知り合い、松野稲荷に寄ったと言われている。
願成寺では、松野稲荷と交流を持つまで戒應住職の行方がわかっておらず、歴代の住職を読み上げる際も、飛ばされていたという。32代目中谷光裕住職は、「交通の便も発達していないときに地域の方のためと、はるばるやってきた戒應住職の思いは素晴らしい」と話し、「ここに来たことでご供養になったかなと。こういった人の輪を大切にしていきたい」と話した。
松野弘さんは、「松野稲荷の歴史で画期的なこと」と話し、「交流を始めた当時、寺に帰っていないと聞いたときは茫然自失だった。しかし先代住職に、戒應住職の魂を横浜のみなさんが取り戻してくれたと言われ願成寺への思いは深くなった」と話していた。
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