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保土ケ谷区版 公開:2020年10月1日 エリアトップへ

特別寄稿【2】 英霊が帰ってきた思い出 筆者/三澤玉江さん 当時小学校5年生 現在87歳

社会

公開:2020年10月1日

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三澤玉江さん昭和8年生まれ、川島国民小学校に通っていた5年生の時に横浜空襲を体験。翌年終戦を迎える。
三澤玉江さん昭和8年生まれ、川島国民小学校に通っていた5年生の時に横浜空襲を体験。翌年終戦を迎える。

 戦後75年が過ぎ、あの惨劇を語り継げる人が少なくなってきている。西谷町に暮らす三澤玉江さん(87)は当時、小学5年生だった。本紙では「後世に伝えよう」と三澤さんが執筆した手記を3回にわたり紹介する。

 断片的ですが、思い出として残っている部分だけ書いてみました。

 遠く上星川の方から、軍楽隊の音が「ドォンー、ジャンー、ボオーン」とゆっくり、ゆっくり静かに演奏する「うみゆかば」?の曲が聞こえてきました。すごく寂しい音色で、皆、緊張して集まり道端に頭を下げて並んでお迎え致しました。大人も子どもも通りかかった人も頭を下げて皆、並びました。一度は川島小学校の講堂に祭壇を設けて、お寺さんや町内の偉い人がお参りをしたようです。

 子どもにはあまり詳しい事は分かりませんでしたが、川島、西谷でも幾人もの兵隊さんが英霊になって帰って来ました、何しろ戦時中なのでその時は戦死は名誉なのだな、としか感じていませんでしたが、今人の親になり孫を持つ身になると、当時の親の気持ちが痛いほど解かり、生き残った人はみんな戦争が起きないようにするのが義務のように思い続けています。いつまでも平和でありますように祈ります。そうでなければならないのです。

 でも、時代は変わり、それに又、一段と悲しい天災が起きても人は耐えなければならないのですね。

出兵送り出征の日 昭和18年の春

 確か昭和18年春頃、兄が兵隊に召集され、親たちは物がなくなってきた時なので、新しいグレーの背広を親戚の洋服屋さんに注文したり、日ノ丸の旗を注文したり、父も母も真剣な顔つきでいろいろ働いているのを子ども心に感じていました。

 今の結婚式の様な御馳走を作り揃えて、近所の人、親戚の人に見送ってもらいました。

 昔も町内にそれぞれの分団長さんがいて、見送りの人達に小旗を渡し、我が家のまえに整列して「万歳、万歳」と兄を励まし、近所の人達と皆で行列を作って春の水道道を上星川駅まで送って行きました。

 その時確か私は小学校4年生になったばかりでしたが、兄は私に向かって、「では行って参ります」ときちっと敬礼をしました。私は何と言っていいのか分からないまま、涙が吹きこぼれてしまいました。

 団長さんが初めに軍歌を歌い始め、皆が後から合せて歌いながら、長い列になって上星川駅まで送って行きました。

 「勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからは」と元気に歌うつもりが、とても悲しい軍歌になってしまいました。あのときの事は、今でもはっきりと覚えています。

 皆さんは元気に歌って送ってくれましたが、兄との別れがいやでどうやって上星川駅に着いたのか、兄が電車に乗っていたか大人の人達に埋もれて見えないまま家に帰って来ましたが、今でも帰り道の記憶がないのが不思議です。

 軍歌を聞くたび悲しい思いを致します。

(つづく)

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