神奈川県全域・東京多摩地域の地域情報紙

  • search
  • LINE
  • MailBan
  • X
  • Facebook
  • RSS
保土ケ谷区版 公開:2021年5月27日 エリアトップへ

横浜大空襲から76年 母から伝え聞いた辛い記憶 女児が幼心に負った大きな傷

社会

公開:2021年5月27日

  • LINE
  • hatena
東神奈川上空から撮影した空襲写真(横浜市史資料室所蔵・山本博士資料)
東神奈川上空から撮影した空襲写真(横浜市史資料室所蔵・山本博士資料)

 1945(昭和20)年5月29日に米軍のB29爆撃機が投下した焼夷弾が横浜市街を焼き、8千人以上ともいわれる死者を出した「横浜大空襲」。戦後76年、時の経過とともに、あの惨劇を知る人の声を耳にする機会がなくなりつつある。川辺町に暮らす坂下和子さん(78)に母から伝え聞いたあの日の惨劇を語ってもらった。

 「あと1分遅かったら焼け死んでいたと思うんです」。当時2歳だった女児は母に背負われ南区宮元町の自宅から防空壕へ避難した。壕に入る直前、母は後ろから避難してきた男性に背が燃えていることを知らされた。その炎の中には和子さんがいた。和子さんにこの時の記憶はない。後に母から聞いた辛い記憶だ。

 戦後、母が戦争のことを口にすることはなかった。しかし和子さんが小学生の頃、「火と穴が怖い」と母に漏らすと、初めて戦時中の出来事を話し出した。幼い娘を背負い防空壕をめざしたこと、娘の雛人形が焼夷弾で焼失してしまったこと…。

消えぬ恐怖心

 テレビの待機電源のライトや留守番電話のボタン、15階の自宅から望む横浜港湾部の点滅灯など赤い光を見たり、自宅の上空を飛ぶ飛行機の音を耳にすると恐怖感を覚えるという。75年以上が経った今でも、2歳の女児の心についた傷が癒えることはない。

芽生えた使命感

 「横浜方面の空が真っ赤になっていた。『もう親に会うことはできない』。そう覚悟したんだ」。昨年、当時、厚木に疎開していた兄から、あの日のことを聞く機会があった。

 2歳だったあの日の記憶はないが「最近になって、母や兄から伝え聞いた戦火の記憶を伝えなければならないという使命感が出てきた」という。「絶対に戦争は嫌」。強い意志を感じさせるその目には涙が滲む。

㈱横浜建材工業

屋根と外壁のプロ 屋根の無料点検実施中。瓦一枚からでも!

https://yokoken.com/

<PR>

保土ケ谷区版のローカルニュース最新6

国の重要文化財、神奈川県庁本庁舎が5月3日に5年ぶり一般公開

地場野菜ズラリ

区役所前広場

地場野菜ズラリ

26日に「ほどがや朝市」

4月25日

幼児体操の体験会

幼児体操の体験会

スポセンであす26日

4月25日

初夏の里山観察

参加者募集

初夏の里山観察

カーリットの森で5月

4月25日

非常用トイレ備えて安心

自宅便座に簡単設置

非常用トイレ備えて安心

マンションで逆流トラブル

4月25日

「ゆず」がこけら落とし公演

横浜BUNTAI

「ゆず」がこけら落とし公演

新たな歴史刻む

4月25日

あっとほーむデスク

  • 4月11日0:00更新

  • 4月4日0:00更新

  • 3月21日0:00更新

保土ケ谷区版のあっとほーむデスク一覧へ

イベント一覧へ

コラム一覧へ

保土ケ谷区版のコラム一覧へ

バックナンバー最新号:2024年4月26日号

もっと見る

閉じる

お問い合わせ

外部リンク

Twitter

Facebook