2012年の幕が開けた。本紙では今年の鶴見区がどんな年になるのか、歴史をさかのぼり、ひも解いてみた。そこで浮かび上がったのは、「節目」というキーワードだった。
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時代が鎖国から開国へと移る幕末の1862年(文久2年)。その後、薩英戦争から薩長同盟に発展し、明治維新へと大きく転換する契機となった「生麦事件」。薩摩藩主の父・島津久光の行列に、イギリス人リチャードソンらが乗った馬が乱入し、殺害されたこの事件は、今年、発生から150年を迎える。
生麦事件から10年、1872年(明治5年)には急速に進む近代化の中で鶴見駅が開業。日本最初の鉄道(新橋〜横浜間)が開業した翌日、10月15日のことだった。
ちょうど100年前の1912年(明治45年)。鶴見川の河口の海面約150万坪を埋立て、京浜工業地帯の生みの親と言われた浅野総一郎が設立した「鶴見埋立組合」(現・東亜建設(株))が産声を上げた。また同年、後に川崎製鉄と持株会社「JFEホールディングス」を設立する日本鋼管(NKK)の創業もこの年だ。
その5年後には、踏切警報機や自動感応式の信号機など、国内初の製品を世に送り出し、現在も信号機や駅・飛行場の案内板などで国内トップクラスを誇る京三製作所(株)=平安町=の前身、東京電機工業株式会社が東京都神田淡路町で創業した。
そして、現在27万人を超える人口となった鶴見区が誕生したのが、85年前の1927年(昭和2年)10月1日のこと。さらには、地元の台所として街を盛り上げてきた鶴見区商店街連合会も今年、発足から60年を迎える。
鶴見にゆかりのある歴史や企業などが節目となるの2012年。より一層、鶴見が盛り上がることを期待したい。
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