午年の鶴見振り返る
2014年は午年。そこで鶴見区史の中から午年に起きた出来事を振り返る。
昨年は京浜臨海部の埋立てが始まって100年目だった。埋立て計画を進め、「臨海工業地帯開発の父」とも呼ばれる浅野総一郎は、1930年の午年に82歳の生涯を閉じた。浅野は同年に食道がんを発症。亡くなる直前まで社員に指示を出し続けていたという。
1954年の午年には、鶴見工業高校野球部が甲子園に初出場。1回戦で宮崎県の高鍋高校を16―5の大差で下すも、2回戦で高知商業高校に敗退。同校は、2011年に閉校している。54年には県立三ツ池公園も開園。県内でも有数の桜の名所として定着している。
大黒ふ頭が完成したのも午年の1990年。横浜港初の本格的な島式ふ頭として整備され、現在まで首都圏の一大流通拠点として活躍中だ。
2014年はどんな出来事が鶴見の歴史に刻まれるのだろうか。
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