生麦の住民や生麦小学校が、第2次世界大戦中に学童疎開を体験した同校の卒業生と協力し、疎開や戦時中の記憶を映像化した上で教材などとして活用するプロジェクトが始まった。今年6月に創立90周年を迎える生麦小の記念事業の一環として、このほどスタート。1月18日、疎開を体験した卒業生に対する1回目の聞き取り調査が、生麦地域ケアプラザで行われた。
感謝の思いから
国民学校だった生麦小学校の児童は、第2次大戦中の1944年8月11日から、神奈川県足柄上郡中井村(当時)に集団疎開している。3年生から6年生までの児童413人と職員16人が、中井村の6寺院にわかれ、疎開は終戦後の翌年10月まで続いた。
「中井村学童疎開プロジェクト」と名付けられた今回の事業は、当時3年生で疎開を体験した生麦在住の塩田力さん(78)が、「90周年を機に、疎開先のお寺に感謝状を贈りたい」という思いから始まった。
塩田さんは、90周年事業の運営に携わる東部本宮町会の内田壽男さんに相談。昨年11月、90周年式典で謝意を受けてほしいという旨を伝えるため、中井村の6寺院を訪問した。
帯同した内田さんは、「お寺には当時の資料が思っていた以上に残っていた。体験した皆さんが元気なうちに、資料としてまとめ、後世に残したいとプロジェクトを立ち上げた」と趣旨を説明する。
プロジェクトでは、90周年式典へ6寺院の住職らを招き、感謝状の贈呈などを行う「感謝の意を伝える事業」と、体験談を映像で残し、教材などにする「記憶を語り継ぐ事業」という2事業を進める。
「感謝」では現在、2寺院の住職が出席を快諾。残りの寺院についても調整を続けている。
肉声を映像化
「語り継ぐ事業」は、プロジェクトの責任者となった内田さんら地域住民などが中心となり進められている。体験者の肉声を映像として残し、教材とすることが目的。あわせて資料収集も行い、冊子も作るという。
生麦地域ケアプラザで1月18日にあった第1回目の聞き取り調査には、生麦在住の卒業生5人と地元町会や生麦小などからの協力者が参加。「疎開前」「疎開中」「戦争を経て」など項目ごとに20前後の質問を用意し、聞き取りを実施した。
聞き取りを受けた関口スズ子さん(78)は、「とにかくひもじく、早く家に帰りたいと思っていた。落ちている生の梅をかじったこともあった」などと、戦時中の過酷さを振り返っていた。
教材としての活用について同校の嶋田勝校長は、「横浜大空襲のあった5月に、毎年実践している平和教育や、歴史の授業などで使いたい」と歓迎。「生の声が教材になるのはなかなかない機会。学校としても協力していく」と話した。
映像は、今後数回にわたり聞き取り調査を実施し、詳細をまとめた上で作成するという。
難航する対象者探し
今回、対象となっているのは、疎開を体験した1932年から1936年3月末までに生まれた生麦小卒業生。当時は公の同窓会もなく、対象者の捜索は難航しているという。1回目の聞き取り前に、所在が判明したのは18人のみ。そのうち13人の協力が得られたものの、中には「思い出したくないと断る人もいた」と関係者は話す。
内田さんは「それだけ壮絶な体験だったということ。仕舞い込みたい気持ちもわかる。だが、協力してくれる参加者同士の記憶をつなぐ意味でも多い方がいい。もう少し探したい」と、調査と並行して卒業生探しも継続していく。
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