「異例中の異例だった。どこから手を付けていいのかわからないくらい、被害はすごかった」
阪神淡路大震災以降、「教訓を持ち帰りたい」という思いから、大きな災害が起こった地域ほとんどにボランティアとして関わってきた河西英彦さん(平安町在住)。目に映った東日本大震災の被害の光景は、これまで見た被災地のものとは違っていたという。
あれからまもなく3年。河西さんは、「神奈川災害ボランティアネットワーク」の一員として、今も被災地と関わり続けている。
宮城県石巻市の網地島(あじしま)。津波によって漁港を失い、若い人の多くが職を求めて島を去った。平均年齢は73歳。急激な過疎化が進んでいるという。そんな島の現状を助けようと、河西さんは現在、同ネットワークのメンバーらとコミュニティー作りを進めている。
「人がいなくて祭りもできない状態だった」。現地の行政や社会福祉協議会、地域住民らから聞き取りを重ね、浮き彫りになった現状。島全体をコミュニティーの場として活用し、島民はもちろん、ボランティアや島外の人たちが集まる居場所を作る方針を固めた。
「『また来たよ』というような、継続的な心のつながりを、被災地は欲している」と河西さん。今後、再度現地へ訪問し、具体的な取り組みに移る予定だ。
月日が経つにつれ、「ボランティアの減少」と「震災の記憶の風化」を結びつける報道が所々に見られるが、河西さんは待ったをかける。「支援の仕方が変わってきた。自立を支援するためにも、どこまで支援するかの見極めが重要」。一日でも早く日常へ戻るためにも、ボランティアが減っていくことは自然なことと考えている。
例えば空き地の整備。草刈りだけでは、ボランティア任せになり、自立につながりにくいという。「畑にするなどして、地元の人たちが継続して管理するようなものとして残さないと」
また、これからの課題として、子どもへの防災教育を挙げる。「子どもは素直。災害時でも習った通りに動く。見習った大人が救われた例もある」。これも被災地からの教訓だ。
「3・11で住民の防災意識が高まった。無駄にはしたくない」。熱心なのは、「平安町をいいまちにしたい」との思いがあるからだ。「災害は必ず来る。いいまちの究極は、いざという時に対応できること」。災害に強い、いいまちを目ざして、これからも被災地へ足を運び続ける。
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つるぎん27日に4月25日 |
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