横浜災害ボランティアネットワーク会議の代表を務め、熊本地震では、阿蘇郡西原村を中心に郡内を回ったという河西英彦さん(平安町在住)。2004年の新潟県中越地震以降、水害なども含むほとんどの災害で、ボランティアとして被災地を支援してきた河西さんが、今回感じたボランティアの重要性、受け入れ側の心得などを聞いた。(聞き手/本紙鶴見区版編集長・浜田貴也)
――現地のボランティアセンターの状況は。
「西原村は前震が震度6弱、本震では隣の益城町と同じく震度7を記録しました。住宅の半数が全半壊という状況だった。
災害ボランティアセンターは、4月24日に設置。その後26日に、運営スタッフとなるボランティアを全国から募集したことで、各地から災ボラのベテランが集まった。現地ではセンターとは別に、サテライトを3カ所作り、細かなニーズを拾った。それをセンターで集約し、受け入れたボランティアを適切に配置できた。
このサテライト方式は今回の成果。今まで頭でイメージしていたが、実際に見られて良かった。鶴見でも実践したい。
一番早く立ち上げた益城町はニーズの選定がうまくいかず、何もさせずに帰したケースもあったようだ。
サテライトが良いのは、見える場所にボランティアがいるという安心感と、日中のみ設置することによって、行き届いてきたら撤収するなど、適度な距離で自立につなげられること」
――今回、ほかに現地で得られた成果は。
「災害ボランティアは、保険の適用範囲の関係で、重機を使った作業などはやらないことが普通だった。
ただ、今回、重機を持参したボランティアがいて、『ニーズがあるならやろう』と、活動する本人に十分な了解を得た上で実践した。
また、個人の利益などにつながる復興活動も、これまでなかったが、現地の農協などと協力し、災ボラとは別に有志で農業ボランティアセンターを急きょ設置した。名産のさつもいもを植える作業に500人が集まった。今植えないと、一年間収穫がないという状況だった。
鶴見など都市部では、工場などの一部作業を手伝うといった、産業ボランティアという形ができるかもしれない。もちろん、保険の兼ね合いも出てくるが」
――被災した際、住民が行うべき点は。
「避難所となる地域防災拠点のしっかりした運営が必要。みんなで、自分たちで頑張らないと復興できないと思うこと。運営できていないとニーズが拾えない。そうなるとボランティアを受け入れられなくなる。
これまでの被災地でもそうだったが、被災者はみなさん茫然とする。でも、全く関係のないボランティアが、がれきを集めたり、家を掃除したり、一生懸命な姿を見て、励まされる。ボランティアのほとんどは、最後に『ありがとうございます』って言うんですよ。片づけさせてくれてという気持ちで。
だからこそ、上手に付き合うことが重要。日頃から地域のコミュニティーを作ることで、受け入れやすい土壌になると思う」
鶴見区版のローカルニュース最新6件
|
|
|
|
|
|