国道1号にかかる響橋がこのほど、(公社)土木学会が認定する「土木学会選奨土木遺産」に選出された。同学会が全国の歴史的・文化的価値の高い土木構造物の保存などを目的に創設する制度で、市内では4件目の認定。特徴的なデザインや、京浜工業地帯の発展を背景に建設された歴史的価値などが評価された。
選奨土木遺産は、建設業や地方自治体など、約4万人からなる土木学会が、2000年に創設。全国から推薦・一般公募で候補を集め、選定している。自治体などの指定文化財になってはいないものの、価値が認められるものや、今後解体される可能性があり、今後の保存が重要視される構造物などが選ばれている。
戦争乗り越え完成
響橋は、1941年完成。鉄筋コンクリート造りで、長さは48mあり、コンクリートアーチ橋としては、市内でも最大級だ。
建設のきっかけは、国道1号の誕生。当時、京浜工業地帯が急速に発展し、国道15号は交通量が激増。新たな交通網として1号の整備が36年に始まり、分断された水道道を結ぶ陸橋として響橋が計画された。
同じころ、40年の夏季五輪東京開催が決定。マラソンコースの折返し地点に橋が選ばれ、その工事は重要視されたという。しかし、日中戦争の拡大で東京五輪は返上。大会は幻となったが工事は続行され、鋼の支給制限や工事関係者の戦地召集などの苦難も乗り越え完成した。
細部も作りこむ
設計は、地下鉄銀座線浅草駅なども手がけた今井兼次氏が参加。アーチ部分をふちどる段差を施したり、橋内部に空間を作りコンクリートの重量感を軽減するなど、細部にまで工夫がされている。市道路局は、「戦時中に建設された橋の中で、ここまでディティールを作りこんでいるものは珍しいのでは」と話す。
地元では「めがね橋」の通称でも親しまれ、橋の名を冠したイベントも開かれるなど、地域のよりどころとなっている。橋にあやかった「ひびき橋」という菓子を販売する「東寺尾 清月」の田中清さんは、「地元の人にとってのランドマークが認定を受けうれしい。これからも大事にしていきたい」と話していた。
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