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モンゴル医大から称号 意見広告 喜びは”人のために” 篠原グループ 代表取締役会長 篠原今朝男
私は教養も無く、人様に自慢できる人間ではございません。
商売が少しばかり成功したように見えますが、たいしたことはありません。一代で商売を成功させた経営者は、人との闘いを勝ち抜き、弱者を蔑ろにするようなことがありますので、人様に対して決して自慢できる立場ではありません。
人は成功してしまえば綺麗事を言いますが、それは偽善です。また、立派な役職に就いても苦労を知らない人は、弱者の苦労を感じようとしないことが当たり前です。
私も四十代や五十代の若い時は「何故、人の為にやらなければいけないのか」「何故、寄付をしなければならないのか」と思う自己中心的な人間でありました。
病を転機に
しかし、人間は病を患って、すべてを失った時に自分の残りの人生を考えます。私自身も病気で変わりました。事業が成功してお金を手に入れた時の喜びと、損得を考えず人に寄付など慈善活動して喜ばれた時の感動を比べると、全く違う喜びであることに気づいたのです。これは嘘ではありません。
私の周りの友人も人に嫌われたり、寄付など一切しない人は大勢います。しかし、一部の人は七十歳を過ぎ、八十歳近くになると不思議なことに、突然自分の家の周りを掃除したり、近所に挨拶したりするようになります。そんな光景にハッとします。
人は人生の行く末が見えてくると仏心か、寛大な心を持てるように変わる人もいます。 若い時は好奇心旺盛で「あれしたい」「これしたい」「これが欲しい」と自分自身の中は欲望だらけでした。
年を重ねて、自分の体に不自由を感じてくると、好奇心や欲望を諦める気持ちが強くなります。このような状況になり、私自身も考えが変わりました。
しかし一生涯変わらない人もいると思います。人を見ても「あの人は良い人」と言われる人に金持ちはいないと思います。決して私は人様の前で大義名分を言える身分ではありませんが、この度のことを感謝し、身の丈にあった範囲内で無理をせず「皆に喜ばれることを少しでもしていきたい」と思うことは、本心であります。
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こどもタウンニュースよこはま版4月8日 |
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