90年という長い歴史を持つ鶴見小学校。三世代で同校に通った中西家に当時の思い出を聞いた。
プールで青空教室
中西静代さん(79)は、入学当時、戦争で校舎が焼けてしまったため豊岡小学校へ通った。「戦争のとき、鶴見の西口より東口の方が爆弾を落とす目標物があったんじゃないかな」と振り返る。後に鶴見小に通えるようになったが、初めはプールで青空教室だった。「校門を入ってすぐ左側にプールがあって。印象深くてよく覚えているよ」。当時の給食は脱脂粉乳やコッペパン。「食べられるだけで幸せな時代だったからね」
賑わう町内別リレー
美里さん(54)と英一さん(50)の通った1970〜80年代。美里さんの頃にはまだ独立した図書館が建っていた。「ロダンの考える人の像が入口にあったのをよく覚えている」と話す。
印象深かったのは運動会。地域住民など観客が町内会ごとに分かれて応援していた当時、盛り上がったのは「町内別リレー」だ。町内会代表の児童が走るので、観客は保護者でなくとも自分の地区の子へ声援を送るなどしてにぎわいをみせていたという。
給食はパンがほとんど。英一さんが高学年になってやっと月に一度ご飯が出るようになった。英一さんはソフト麺、美里さんはいちごなどのフレーバーをつけた牛乳がお気に入りメニューだった。「今はパンとご飯が交互で、栄養バランスもかなり考えられているよね」と美里さん。
授業で地域と関わり
現在学校へ通う英美さん(4年生)と英里さん(1年生)。英美さんの印象に残る授業は、給食で出た生ごみをたい肥として土に混ぜて花壇を作り、区役所や図書館など、まちへ届けた総合の授業。いまも届けた花壇の管理を自分たちで行っている。英里さんは、潮田公園で集めたどんぐりに顔を描くなどする工作の授業が面白かったと笑顔。二人とも楽しく学校へ通っている。
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